2010年08月18日

◆何か変だ? 老人のつぶやき

渡邊好造

その話は前にも聞いた、お前こそ変だと言われるかもしれない。いかし、、。

1)ニューヨークのビルに自爆テロの飛行機が突入し5千人余りの犠牲者が出て、9.11、グラウンドゼロとか言って大騒ぎしている。この件の発生時、兵庫の女性議員だったか「ざまみろ、、」とブログで発表し非難していたが、日本人としては非難する方が変だ。

アメリカ軍による大阪大空襲の時、筆者宅3百メートル近くにまで焼夷弾が落ち、同級生の家が焼け落ちた。彼は「なんでや」と叫び涙を流していた。その後広島、長崎に原爆を落とし30万人を殺した。それに比べればたったの、、。

あの時は戦争中だったというだろうが、今も戦争は続いている。アメリカは、自国領土の大陸本国を直接攻撃され、戦闘員以外の民間人が殺される理不尽さを、9.11で少しは理解できただろう。「ざまみろ!」

2)脳死臓器提供法が改定された。臓器提供を希望する者は、腎臓、肝臓なら生体移植可能だが、心臓などは他人の死を待っているようで、、。海外で移植するとしても、その国にも移植を必要としている人がいるはずだし、、。

自前の資金でなく募金でとなると早く目標額を集めた者勝ちのようにみえる。移植の順番、必要性などは厳密に判断する患者選定のための公的機関があるのだろうが、今ひとつ不透明な気がする。金を使わないうちに移植希望患者が亡くなり、残った金をもってドロンした人もいるとか。

3)「遺憾に思います」は、本気で謝っているのだろうか。『責任は私にはない、立場上仕方ないとはいえ知らなかったのだから、、、。謝りたくない、しかしあとで責任追求されるのも困る』と考えている人の謝りかた。「遺憾に思います」は謝ったようには聞こえない。

4))相撲界が暴力団の野球賭博にからみ大揺れしている。力士の大麻服用、賭博、こんな事は政官財どこでもあることで、まして常識や勉強なんて二の次の相撲界。協会に外部理事をいれろ、近代化しろと苛めまくるが相撲協会は懸命に抵抗している。

幕内を目指す力士の現役での頂点は横綱だが、究極は引退後のために高額の年寄株(1億円以上)を買い相撲協会で生残ること。税金に多少目をつぶって貰っているとはいえ、自分達が怪我にもめげず命をかけて稼ぎ、そして注ぎ込んだ貴重な金による協会、こんな見事で大事な組織はない。その協会に手をつけ彼らの不利になるようなことをしたら力士は目標を見失い絶望するに違いない。

天下り就任する審議委員・外部理事ら、相撲界にこれまでなんの貢献も投資もせず、余生丸儲けの連中に偉そうなことを言わせたくないのは当り前のこと。

5)担保・保証人不要の低金利高額融資。東京都の石原知事が2005年に設立した「新銀行東京」のうたい文句だが、ノウハウもなく客を信用するのもいい加減にしろ、と思っていたらやはり焦げ付きだらけとか。金融に善意が通じると思っている人の勝手な施策。金融のノウハウは「返してくれる人に貸す」、回収より貸付。

6)百歳以上の長寿者4万人程おられるとか。この数字が発表されたのは1〜2年前だったが(?)、この時2万人は未確認との注釈がついていたから、不正確だと分かっていたはず。確認できないから4万人の百歳以上はその後増え続けているに違いない。住民登録がいかにいい加減かは、その登録数が5年に1回の国勢調査の数より1割がた多いことで、筆者が市場調査業務に携わることになった50年前と同じである。

7)国会議員の数と給与の削減。国会議員が自分たちの首をしめる法律など成立させる訳がない。新人議員給与日割計算も消えた。総論反対、各論反対、損することはみな反対、賛成はフリだけ。

8)死刑を執行しなかった法務大臣。死刑囚の仕分け人・法務大臣が約10カ月近く死刑を執行せずにいたら、参議院選挙で落選した。その法務大臣が大臣続投となり、百人をこす死刑囚は助かった首をさすっていたはず、、。ところがその後2名の死刑執行。今度は執行したといって袋たたき。役得の一番少ない大臣か、、。

9)朝鮮総連系の高校授業料無償化なんてとんでもない。反日教育、拉致実行者の育成、日本を敵視する独裁者崇拝教育をしている学校に日本の税金を投入するとは、我が国を崩壊させようと狙うテロリスト養成学校に金をだしているのに等しい。

朝鮮総連系学校教育を受け、北朝鮮のサッカーチームの一員としてワールドカップに出場し、国歌に涙する選手の姿をみた。日本で育ちながら北朝鮮へのこの忠誠心、その教育内容はどんなものか。 そもそも全高校を無償化するならせめて知能指数の下限を決めてからにするべし。九九が言えない高校生もいるというのに、、。

10)民意の反映、民意を優先、民意が大切というが、、。民意もことによりけりで、ゴミ焼却場や拘置所をつくる話なら別だが、国の存亡にかかかる事象に民意は関係ない。全国の県市町村の数だけ賛成反対を問うていたら国が亡びることになりかねない。

北朝鮮からミサイルが飛んできて東京が燃えあがってる場合にも「反撃しますか、どうしますか」と民意を問うのか。その時は民意でなく国の長が即座に決断しなければならない。日本のどこに防衛基地が必要かどうかも知事や市長が判断する次元の問題ではない。    (完)


2010年08月12日

◆昆虫マニアの到達点-"蛇の祟り"

渡邊好造

サッカ-ワ-ルドカップで日本中が大いに沸いた。古い話、筆者の高校時代のサッカ-は、野球、水泳、柔道、体操の人気には及ばなかった。

しかし、当時サッカ-が得意で3年前に亡くなった高校同級生Y.T君は、頭脳明晰、スポ-ツ万能、女子生徒からも憧れの的だった。大阪府大会で我が高校がサッカ-で準優勝したのは彼の功績で、コ-ナ-キックからの見事なヘデイングシュ-ト、鮮やかなドリブルをする姿は今も眼に焼きついている。

今回の稿は、何かと相談相手となってくれた亡きY.T君を偲ぶ気持ちと、シリ-ズ「昆虫標本」を読んだ友人からのこんな冷やかしメ-ルがあったことによる。「病気に縁のなかった君が最近絶好調でないのは、高校生物研究部時代の"蛇の祟り"ではないか。蛇は執念深いというからな、、」。

昆虫マニアの筆者が、高校で所属していた生物研究部はいわゆる文化系クラブである。ところが、動植物採集のための駆け足登山、小川を10メ-トルほどせき止めて水を抜き、全身泥だらけになりながら魚、亀、蛇、水棲昆虫、水草などの生物をまる一日かけて研究用に根こそぎ確保し持帰るなど、こんなことで特に1年生の新入クラブ員はしごきまくられた。

筆者もそうした一連の洗礼を受け、運動系クラブのような体質を引継いだ。

サッカ-部の知名度、人気には追いつけないにせよ、せめて文化系クラブの中で存在価値を示すにはどうすればいいか。「君の得意とする昆虫がテ-マではまったく魅力がない。なにかもっと目立つことを考えないと、、」とのY.T君からの助言もあり、動物の解剖公開を不定期だが土曜日の放課後に実施することにした。

とりあげた動物は鳩、鶏、鼠、兎、モルモットなどで、結果は解剖後の骨格標本が残っただけで、今ひとつ人気はなかった。ただ、「生物実習授業での蛙の解剖ではよく理解できなかった内臓の仕組みが一発で憶えられた」と評価してくれた者もいた。

何回目だったか蛇の解剖をテ-マにしたところ、前評判は上々。1週間前に蛇を捕え準備万端整えた。

そこで事件発生。蛇がいなくなったのである。2日後、授業中の女子生徒ばかりのクラスから校舎中に響きわたる悲鳴があがった。逃げた蛇が教室内をウロウロしていたのである。おかげで部長の筆者は大目玉をくらった。"蛇の祟り"とはこのことである。

動物の解剖はしばらく途絶えたが、ある日部員の飼っていた愛犬が死になんとか形として残してやりたい、ついては剥製にできないかとの申し出があった。剥製は無理だが骨格標本ならできるとして直ちに作業にとりかかる。

苛性ソーダで煮込んだ肉と骨を丁寧に分離し、針金と糸で1ヶ月ほどかけて骨格を組立て、ペンキ、エナメルを塗布して標本は完成。骨格の組立ては軟骨の処理が難しく、知恵の輪やパズルを解くような面倒で根気のいる作業であった。困ったのは後々まで体に染付いた肉の腐った臭いである。

蛇と犬で生物研究部の存在は知られたが気持ちの悪い部として定着し、サッカ-部の人気に追いつくどころの話ではなかった。

思わぬ名誉挽回のチャンスが巡ってきた。大阪府高等学校生物教育研究会主催、大阪府教育委員会後援の”第7回生徒生物研究発表会”に、筆者が代表して出場することになったのである。

昭和29(1954)年11月23日、場所は産経会館内アメリカ文化センタ-、発表者は各校代表23名、持ち時間7分のタイトルは”燈火に飛来する甲虫類について”。結果はなんと! 優勝である。

これが昆虫マニアとしての到達点。部員みんなとY.T君も喜んでくれた。翌日の全校生徒が集まった朝礼で校長先生から研究内容、成績紹介とお褒めの言葉があったものの、「なんだ? それがどうした、、」という軽い反応しかなかったように記憶している。

この発表会は毎年続けられ本年で62回目を迎えるというが、まず知る人はいない。亡きY.T君大活躍のサッカ-部大阪府大会準優勝については、ここ数年のサッカ-Jリ-グ人気もあって未だに同級生が集まると話題にのぼるし、学校史にも掲載されているが、、。

体力に自信はあったものの運動神経は鈍くスポ-ツはまるで駄目、昆虫にのめりこんでいたから学業成績もいまひとつで、後にも先にも一等賞を貰ったのはこれしかない。

お〜と忘れてはいけない。この4月で結婚満47年、健康優良児の我が女房殿が最高の一等賞であった。(完)


2010年08月03日

◆日本語をなぜ“片仮名文字”にする

渡邊好造

わが国には漢字という折角の表意文字があるのに、いつのまにか聞いたこともない英語、仏語などをもとにした片仮名文字に変えてしまう。

それで、意味不明にしたり、都合のよい解釈をする。いかにも目新しく、恰好よく見せかけているだけではないか。ちょっと拾ってみるだけでも腹がたつ。

 [片仮名文字=日本語なら⇒本当の裏の意味]

1)カジノ=博打場、とばく場⇒堂々とてら銭をとる公共の超法規的賭場施   設。もうすぐ日本にも。
2) シェフ=優秀調理士⇒板前、板長、料理人、包丁頭なら目の前で調理して くれる。シェフは命令するだけ。
3)タレント=芸人⇒ただのお笑い芸人なのになんでも完全にこなす能力が ありそうで、照れず厚かましい。
4)コンシェルジェ=ホテルの接客責任者⇒客がどんな悪辣なことを言った  り、したりしても我慢できる接客係。
5)ファイナンス=金貸し⇒利息も安く、簡単に貸してくれ、取立ても厳しく ない善意の金融業者。

6)コンプライアンス=規定・法律を遵守した行動⇒規定・法律の抜け道をど  こに見つけるかが秘訣。
7) マニフェスト=公約⇒公に約束はするが、後で訂正自由。最近の貼り薬”膏薬”は剥れないのに。
8)アジェンダ=政策課題⇒期限がなく実行希望の政策。後で間違いなく"唖  然とする"。
9)タトウ-=刺青⇒やくざのいれる全身のモンモンとは違い、体の一部に化  粧するような軽い感覚。
10)エッセイ=随筆⇒タレントが「エッセイ書きました」は、起承転結のな い日記、手紙、メモなどの駄文が多い。

11)コラボレ-シヨン=協同競演作業⇒過去の栄光をひきずる者同士の再生 競演策。
12)レシピ=調理法⇒美味そうに感じさせる秘密の調理法。美味くない時の  表現”この味は玄人好みですね”
13)パフォ-マンス=表現、才能、処理能力⇒派手な言動、ごまかし、でた らめ演技。
14)リベンジ=雪辱する⇒仇討ち、復讐、返り討ち、闇討ち、暗殺。
15)ホ-ムレス=住む家のない哀れな人⇒道路や公園を不法に占拠する同情   の余地のない浮浪者、乞食。

16)バッシング=たたく、攻撃⇒高収入、好待遇に見合う行動、成果をあげ  ないとやっかみで眼の敵にされる。
17)パテシエ=製菓技術者⇒砂糖とクリ-ムをたっぷり使い、高血圧や糖尿病  を忘れさせてくれる菓子職人。
18)ボランテイア=時間と能力の無償提供奉仕⇒作業量に見合った経費のい  らない、善意に期待した労働。
19)アドバイサ-=助言者⇒野球賭博や脱税など楽して儲かることを教えてく  れる人。
20)バックパッカ-=リュックサックを背負う旅人⇒金のない貧乏のふりを  して、安上がりの旅行をする人。

21)リーズナブル=価格が手ごろなさま⇒品質が良く、より安いのを手ごろ  というが、、。つい騙されやすい価格。
22)キャンペーン=企業・団体の目的をもった宣伝活動⇒消費者のためとみ  せかけて、自社の販売拡大が狙い。
23)アウトソ-シング=外部発注⇒下請け会社に無理やり安く発注し、資金  が少なくてすむ経営方法。
24)アシスタント=助手⇒安い給料で便利にこき使える我慢強い見習い人  で、「今にみておれ」と歯噛みしている。
25)エコカ-=燃料節約車⇒燃費が安いといわれる高級車で、税金で補填して  くれるのでよく売れる車。

26)コメンテ-タ-=解説者⇒聞かれたことの3倍以上にしゃべりまくること  の出来る人。「、、そうすね」は失格。
27)カリスマ=教祖⇒一見すると能力ある風で、他人と違うことをする目立  ちたがりの超変人。
28)コンテンツ=内容物、中味⇒内容のない、中味のないものでもなんとな  く見たくさせる。
29)セレブリテイ=話題の人 、有名人⇒親の莫大な遺産を相続しただけ   で、実力があるとは限らない。
30)モラトリアム=(融資金返済)一時停止⇒単なる一時停止なのに、「も  う取らぬ」と全額返済不要と錯覚させる。

ハングル文字に統一した韓国では、漢字の自分の名前が読めない人が現れたという。中国の物まね商品、商標権侵害を非難したら「日本は漢字を盗んだ」と開き直った。その大事な漢字を略字にしてしまう中国は変な国だ。

片仮名文字はこれからも増え続ける。以上、日本語で”ボヤキ”。(完)


2010年07月23日

◆京都「山科ゆかりの歌人」

           渡邊好造

”百人一首”など古来の和歌には、「山科」が数多く登場する。

”百人一首”は、鎌倉時代の歌人・藤原定家が100首を選んだ歌集のことで、京都小倉山で編纂されたので通称”小倉百人一首”ともいう。主に古今集(平安時代)、新古今集(鎌倉時代)から選んでいる。"小倉"があるなら他にもあるのかとなるが、確かに"源氏""女房""後撰""武家"が頭につく”百人一首”もあるにはある。

その何れもが、制作年や編者が明確でなく、小倉で洩れた歌人を補っただけのものもあり、”百人一首”といえば"小倉"を指すとみてよい。今回の"山科だより"は、この”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」を紹介する。

山科の地名、駅名にも名前が残る有名歌人といえば「小野小町」である。"小野御霊町"にある”随心院(真言宗)”は、小野一族の邸宅跡に正暦2(991)年=平安時代=「僧・仁海」が創建した。「小野小町」は仁寿2(852)年=平安時代=に宮廷を辞した後、40年間当院内の遺跡”小町の井戸”辺りに住んでいたという。

「小野小町」が詠んだ和歌のうち、”百人一首”(原典・古今集=以下同じ)にとりあげられ、とくによく知られているのはこの一首で、境内に歌碑がある。

『花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに』(桜の花の色はスッカリ褪せた。私の美しかった姿も衰えた。むなしく世を過ごし物思いにふけっている間に)。

"北花山河原町"の”元慶寺(天台宗)”は、「僧・遍昭」が貞観11(869)年=平安時代=に創建し、”百人一首”(古今集)に詠まれた彼の和歌の碑がある。

碑には『天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ』(空に吹く風よ、天への雲の通り道をふさいでしまってくれ。美しい舞姫の姿をもうしばらくの間ひきとめておきたいのだ)とある。
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(写真は「僧・遍昭」の歌碑)

"四ノ宮泉水町"に天文19(1556)年=室町時代=に開創された”山科地蔵徳林庵(臨済宗)”には、町名の語源となる「四之宮人康」(さねやす=第54代仁明天皇第4皇子)と、歌人「蝉丸」(せみまる=正式呼称はせみまろ)の2人の供養塔がある。

両人とも平安時代(9世紀)に生きた歌人だが、「蝉丸」は"四ノ宮"から約2キロほど東の滋賀県大津市に入った峠"逢坂の関"に庵を構え、近くには”蝉丸神社”もある。なぜ山科に「蝉丸」の供養塔があるのか、「人康」との関係は、交流は、など明確ではない。その共通点は両人とも琵琶の名手であったことのようである。
 
 ”百人一首”(後撰集)にある「蝉丸」の歌、『これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関』(ここから行く人帰る人、それを見送る人、知合いの人とそうでない人も、ここで出逢いを繰返す。これがこの逢坂の関なのだ)がよく知られている。

 ”百人一首”に登場する地名でもっとも多いのが"逢坂(の関)"("難波"と同数)で、行政エリアは滋賀県大津市だが京都市山科区との境界線上の峠である。

ついでながら、全国46都道府県のうち県庁所在都市がピッタリ接しているのは、この京都府京都市(山科区)と滋賀県大津市の他は、東北の山形県山形市と宮城県仙台市しかない。

「清少納言」(枕草子で知られる平安時代女流作家)は、”百人一首”(後拾遺集)で『夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』(夜の明けないうちに鶏の鳴き真似をして、夜が明けたように見せかけた中国・函国関の故事まがいの騙しの手をつかっても、私とあなたの間にある関所は開けませんよ)と詠んでいる。

「三条右大臣藤原定方」(平安時代公家・歌人)は、”百人一首”(後撰和歌集)で悩ましく、意味深な歌を披露している。

『名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな』(「逢坂山」だから"逢える"、「さ寝」だから"一緒に寝られる(さは接頭語)"、名前通りの「かづら=葛・つるくさ」ならそのツタを手繰り寄せると、人に知られずあなたの家で逢いそして一緒に寝る、そんなことが出来ればいいのに)。

”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」が詠む和歌には、平安・鎌倉貴族のなんとも優雅で、他に心配事はないのかと言いたくなるお気楽な宮廷生活が滲みでている。そんな宮廷生活を歴史書以上に現代に語り継いでいるのが、和歌なのだろう。(完)

2010年07月11日

◆山科だより 「昆虫標本」の余談

渡邊好造

山科だよりの「昆虫標本@〜D」について、読者諸氏から非難と質問を頂戴した。

非難は、『虫嫌いにとってこんな気持ちの悪い記事はない。書き手も採用した編集者も悪い』というのだったが、勿論本誌の編集者にまったく責任はない。

蚊が飛んでいても寒気がする人。蛇は写真を見ただけで気持ちが悪くなる人。反対に蛇が大好きで青大将をポケットにいれて可愛がるくらいなのに、蜘蛛をみると体長5ミリの小さな"イエグモ"でも「わ〜!」と叫び逃げ回る人。石やガラスを擦り合せる音に寒気を覚える人。昆虫標本作成を趣味としながら蝶と蛾の鱗粉(翅の粉)が苦手な人。

”鍋物”の食事は高級料亭は別にして普通の店では絶対に食べない人--高級料亭だと仲居さんが個別に椀によそってくれるからいいが、自分以外の他人の箸が入る鍋、それが気持ち悪いというのである。その同じ人が美人ホステスの侍る高級クラブでは周りの女性とやたらキスをしまくるのだから理解に苦しむ。
 
まさに人それぞれである。昆虫標本シリーズのスタート時に「虫嫌いの人ごめんなさい」と一応断りをいれたものの、日本中に昆虫館があるくらいだから、非難されるとは思いもしなかった。まあこんな趣味もあることを知ってほしかっただけのこと。

さて質問の方だが、高校時代以来の友人からのメールに『"バカの壁"の著書で有名な養老孟司氏は、幼少時に微細に描かれた昆虫の本(ファーブルらしい)を教材にして丁寧に説明してくれた先生がいて、それが解剖学の今の仕事に繋がった、とNHKのテレビ番組でいっておられた。君の場合、昆虫標本作成にのめりこんだキッカケはなんだったのか、、?』とあった。

養老先生も、江戸東京博物館「大昆虫博」の開催(本年6〜9月)に尽力されておられることからみて、大の昆虫贔屓らしい。
 
筆者の場合以下のような経緯があり、その後の仕事にも活きている。

昆虫標本の作成を始めたのは終戦の翌昭和21(1946)年のこと。大阪市東住吉区の小学生だった頃、8歳年長の先輩に見事に整理された数箱の昆虫標本を見せられて以来である。この時、昆虫てこんなに美しいものか、と感動を覚えた。

最初に作った標本は道路に落ちていた「アシナガバチ」で、縫い針を刺して手製の標本箱に入れて眺めていると益々本格的にやってみたいと思い、先輩に教えを請うことにした。

捕虫網は母親にステテコを細工してもらって針金を通し竹の棒にとりつけた。殺虫瓶にナフタリンや樟脳を使うも効き目は遅い。効き目が遅いと採った虫同士の食合いでバラバラになる。現在はベンジンを脱脂綿に染みこませているが、当時はベンジンも高価だったしすぐ蒸発し効率が悪かった。

メッキ工場で使う猛毒薬"青酸カリ"が安価で効果的だとわかり知人から譲りうけた。"青酸カリ"は、発生ガスで虫を殺す。日がたつと殺虫瓶の中でドロドロになるので石灰を混ぜて固める。今思えば乱暴な話だが、素手で触っていても舐めなければいい位に軽く考えていた。

大量に保管していた"青酸カリ"はその後燃やして"塩"に変化させ処分した。

その折、昆虫標本作成にとりつかれたのは筆者の他に1歳下の2人。しかし、昆虫を飯の種にしたのは指導してくれた先輩だけ。大学農学部で樹木の害虫「アメリカシロヒトリ」、稲の害虫「ニカメイチュウ」の研究を続けて農薬会社に入社し、最後は大学農学部教授まで勤められた。

教えられた方、ひとりは大学農学部卒業後キリスト教の牧師、もうひとりは工学部から関西大手電気メーカーの役員。筆者も昆虫は高校でストップ、社会学を専攻し社会調査が本業となった。昆虫転じて社会調査が本業とはなんの脈絡もないようだが、昆虫採集時の統計学が人間行動の統計学に転化したのである。

筆者が最初に勤務した広告代理店調査部で統計数字の読み方、社会調査結果の文章をチェックしてくれたのは2回り年長で新聞記者から転じた上司であった。その時の経験が今日に活きている。

そして、今から10年程前の定年リタイヤ後、山科疎水道をウオーキング中に見かける甲虫類の名前は図鑑なしでも全部覚えていたこともあって、幼少時に取付かれた魅惑にまたもや火がついた次第である。

振り返ってみると、人生とは不思議なものだとつくづく感じる。昆虫標本の作成にのめりこんだがために、物書きを仕事にすることになった。本誌の読者の皆さんとの接触が始まったのはそんなわけである。(完)

2010年06月28日

◆山科だより「"クワガタ虫"、"糞虫"」D

                 渡邊好造
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山科疎水道で採集された昆虫標本については5回目。この稿に対し気持ちが悪いとの悪評もあったが、山科にまだこれだけ自然が残っていることに驚きの声も多かった。

 写真の標本箱左側は"クワガタ虫"。甲虫目クワガタ虫科に属し、日本では約40種。雄の大きな顎が戦国時代の兜についている鍬形に似ていることからこの名前がついた。山科で採れたうち立派な顎をもつのは写真左端上の「ミヤマクワガタ」1頭のみで、顎をもつ雄は2段目の3頭と最下段2頭目のわずか5頭。どういうわけか採れるのは「コクワガタ」(胴長2、5センチ)の雌が大半である。

 "クワガタ虫"は樹の枝にいるのと樹の穴に潜むのとの2種類がいる。枝にいるのは樹を蹴飛ばせばすぐに落下するが、白布などを敷いておかないとどこに落ちたかわからなくなる。穴に潜んでいるのは煙草を水に浸けて作ったニコチン液を注入すると這い出す。写真にあるのは全て疎水道を歩いていたもの。

 写真真ん中は蜻蛉(せいれい)目の"トンボ"で、日本では約200種、かっては都会でも数多くみられた。山科疎水道では最下段の「オニヤンマ」を時折見かけるものの、よく知られた「ギンヤンマ」の姿はない。"トンボ"の採集には捕虫網を必要とするが、写真の標本は蟻に食われる寸前の死んでいたものばかり。

 右下の2頭は、甲虫目コガネ虫科の「カブト虫」の雌(胴長4、5センチ)で、立派な角をもつ雄は未だ採れない。「カブト虫」は、昭和60(1985)年天然記念物・絶滅危惧種に指定された沖縄の「ヤンバルテナガコガネ(山原手長黄金)」(同6センチ)につぎコガネ虫科で日本2番目の大型種である。「カブト虫」は養殖が盛んで雌雄ペアで飼育用に売出され、子供に大人気である。樹液にたかるが、写真の2頭は夜間の街灯に激突し落下していた。
なお、新種「ヤンバルテナガコガネ」の発見が昭和58(1983)年と遅れたのは、生息地の毒蛇ハブの危険と米軍基地周辺の立入禁止のせいだったらしい。

写真右側7段目まではコガネ虫科の3種類の糞虫で、日本には百種類以上いるらしい。上から3段目までが「センチコガネ」、その下3段分は「オオセンチコガネ」、ついでその下は山科周辺固有種の「ミドリセンチコガネ」である。
 この種は糞虫の名前の通り動物の糞(人糞も含む)を食べ、そこに卵を産みつける。さらに糞の下に穴を堀り巣をつくっている。”センチ”の名前は、便所のことを"雪隠(せっちん)"と称したのが訛ったらしい。山科疎水道では糞をひっくり返してまで採集したわけではなく、歩行していたのを拾った。しかし、この種の虫を本格的に採集するには動物の糞を見つけるのが先決で、糞が見つかると30センチ程の長いピンセットで辺りを掘って掴み出す。

 糞虫の採集は、奈良県の若草山の奥「奈良奥山ドライブウエイ」周辺がまさに宝庫で、特に「ルリセンチコガネ」はここでしか見かけなかった。そして"カミキリ虫"、"オサ虫"など数多くの甲虫類も採れた。奈良固有種として昭和7(1932)年天然記念物に指定された小型の蝶「ルーミスシジミ(2、5センチ位)」保護のために常駐監視員が周辺を巡回していて捕虫網の使用は絶対禁止。奈良の「ルーミスシジミ」はその後の薬剤散布で絶滅した。

 筆者が中学生の頃、虫仲間3人で糞虫採集の糞を探す手間を省こうということになり、近所で貰った牛と馬の糞(牛馬を飼っている家がまだあった)を3杯のバケツに詰め込み新聞紙を被せただけで奈良行の近鉄電車に乗った。途中の生駒駅辺りで車掌室に連れていかれ「乗客から臭いという苦情がある。そのバケツの中は、、?」、説明しても理解されない。あげくがすぐに下車しろとのこと。「もう二度としません。今回だけは、、」と謝っているうちになんとか奈良駅に到着し無罪放免。
 その日、一周10キロ位のループ状となった「奈良奥山ドライブウエイ」のここぞと思う所に牛馬糞を設置し、もう1周して再び同じ場所に戻るまでの全行程休憩なしで約6時間の強行軍。糞虫の大収穫はあったがくたびれ果てて二度とやらなかった。(完)

2010年06月18日

◆山科だより「昆虫標本Cーコガネ虫」

               渡邊好造
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私がが約60年前に熱中した昆虫採集対象種は、"カミキリ虫"と"コガネ虫"などの甲虫類だった。

このうち甲虫目コガネ虫科"コガネ虫"は種類も多く、習性が分れば比較的簡単に採集できた。写真の標本箱には山科疎水道で採れた28種類の"コガネ虫"が収められている。いずれも当時ならごく普通種で珍しいものは一つもない。

日本の"コガネ虫"は約4百種位が確認されていて、木や草の葉を齧る「マメコガネ」類、花の蜜を吸う「ハナムグリ」類、樹液を吸う「カナブン」類、糞虫の「センチコガネ」類など多彩である。このうち糞を食べ、そこに卵を産み付ける、通称掃除屋の"糞虫"類が"コガネ虫"の約3分の1を占めてもっとも多い。"糞虫"は”フアーブル昆虫記”に記された糞転がし「スカラベ」が有名である。

今回は、個々の種類については詳述せず、筆者の昆虫採集のスタート場所、大阪市東住吉区の「長居公園(JR阪和線長居駅)」を初め約60年前の関西の昆虫採集のメッカであった所を紹介する。当時の自然一杯の姿を想像してほしい。

1) 「長居公園」⇒この一帯は昆虫が一杯の畑地と雑木林であったが、競馬場、オートレース場が出来て公園としての周辺の整備が始まった。ここで用心しなければならなかったのはあちこちにあった肥溜めと野井戸であった。どちらもウッカリはまるとえらいことになる。肥溜めは農業用に人糞を溜めて発酵させる所、はまるとどうなるか、、、。

2) 野井戸は自然に陥没してできた井戸のことで入口は直径1メートル位、周りに雑草が被さっているからさらにその半分位しか入口が見えない。内部は大きく広がって直径3〜4メートル、深さ3メートルはあり、子供がはまって溺れ死んだこともあったし、競走馬が落ち入口を広げて救い出す作業を約3時間見物したこともある。今なら野井戸を放置した管理責任が追求され大問題になったでだろう。野井戸は危険が一杯であったが、そこに落込んだ昆虫を手網で掬い取る秘密の穴でもあった。
 
2) 「箕面公園(みのうこうえん・大阪府箕面市)」⇒箕面の滝の上辺りから「勝尾寺(真言宗)」までの約3キロ程の雑木林は、"コガネ虫"を中心に甲虫類が数多く採れた。今では車で簡単に行けるが、当時は地道で車どころか人影もほとんど見かけなかった。

3) 「能勢妙見(のせみょうけん・大阪府豊能郡)」⇒能勢電鉄の「一の鳥居駅(兵庫県川西市)」から「妙見口駅」までの農道の雑木林、とくにクヌギの木には「ミヤマクワガタ」(昆虫標本Dで紹介予定)をはじめ甲虫類の宝庫だった。能勢電鉄は高架となり、沿線に住宅が立並び現在の様相はすっかり変っている。

 4) 「高野山(こうやさん・和歌山県伊都郡)」⇒南海電車高野線終着駅「極楽橋駅」からケーブルカー(高野山駅行き)には乗らず、虫目当てにひたすら急な山道を登り「大門」に至る。その途中の山道と寺院の並ぶ標高1千メートルの台地には、平地にはいない"カミキリ虫"、"コガネ虫"の珍しい種類が群がっていた。目当ての花は「シシウド」である。

 高野山では「蓮華浄院(真言宗)」という寺院に宿泊し大量に採れた昆虫を整理していたところを住職に見つかった。”寺で殺生をするとは何事か!”と大音声で一喝があり、お布施を出し正座して"虫供養"のお祈り、、。その後何回かこのお寺にお世話になったが虫供養はこれ1回だけで許された。

 この他、関西では「奈良奥山ドライブウエイ」の周辺も忘れられない。この地は、"糞虫"採集のエピソードを中心に「昆虫標本D」でとりあげる。なお今回の写真の中に1頭の小さな"糞虫"が含まれている。右側3分の1中央の台紙上の「マグソコガネ(体長6ミリ)」で、もし指摘できたら筆者以上の超虫マニアといえる。

 いずれの地区とも宅地化が進み、道路舗装が行届き昆虫の住む環境は失われたが、山科疎水道で採れた昆虫標本をみていると、自然が一杯だった約60年前の各地の情景が浮かんでくる。(完)

2010年06月06日

◆貸金業界に激震

渡邊好造

貸金業界が大揺れに揺れている。

消費者金融業者を傘下に入れたがためグループ全体が赤字になった都市銀行、資金もなし将来性もないとして廃業する業者、苦境におちいっているのは消費者金融などの直接金融で(住宅や車のローンは間接金融)、大手の株式上場会社も例外ではない。

貸金業界に激震が襲った最大のキッカケは「過払い金の返還請求」である。 こうした貸金業界の現状を理解するには金利に関する法律をおさらいしておく必要がある。

民法の特別法として、昭和29年(1954年)5月に『利息制限法』が制定され、借金の上限金利が定められた。@10万円未満・年20% A10万円以上100万円未満・年18% B100万円以上・年15%、とある。

その付則として「この金利超過分を借り手が任意で支払えば返還請求できない」。つまり借手が納得ずくで支払った利息はそのまま有効で、違反しても罰則はなく、民法だから訴訟を起さない限りどうにもならない。

これに対し、違反すると公権力によって処罰される金利の取締法として昭和29年(1954年)6月に制定されたのが、『出資法』である。

上限109、5%(日歩30銭=1日0、3%=100円に付1日30銭)を超える金利を受取ると、3年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金、又はこれの併科となる。
 
貸金業者は、利息制限法の抜穴である借手と、納得ずくであれば出資法の上限金利までOKとされる、いわゆる”グレーゾーン金利”(完全な法律違反の真っ黒でない灰色の金利)で営業し、利益を得ていた。

ただ、上限金利109、5%(日歩30銭)はいくらなんでも高すぎるとなり、その後54、75%、40、004%、39、931%の段階を経て、平成12年(2000年)6月に29、2%にまで引下げられた。

その上、平成18年(2006年)1月、借手と書面を交わして納得ずくであっても”グレーゾーン金利”は無効であり、これまでに利息制限法の15〜20%以上で支払った金利分は遡って返還請求できる、いわゆる「過払い金の返還請求」を認めるとの最高裁判決が出た。
この判決により、貸金業者はいったん利益計上した分を取崩してまで、莫大な金額の返還請求に対応することになり、黒字経営がたちまち赤字経営に転落。これが貸金業界を襲った「激震の始まり」である。

さらに貸金業界に追討ちをかけることが必至なのが、来る平成22年(2010年)6月18日から完全施行される『改正貸金業法』だ。

概要は次の通り。
1)上限金利20%への引下げ。グレーゾーン金利の廃止。(金利の低下、罰則強化)
2)業者からの総借入残高が年収の3分の1を超える貸付は原則禁止。(間接金融を除く。各業者は貸付時に借手の年収証明書をチェックし、指定信用情報機関に照会と登録を義務化=総量規制)
3)貸金業務取扱主任者の資格者を営業所毎に配置。(資格者試験制度の実施)
4)貸金業営業のために必要な純資産額5000万円以上。(保有資産の限定)

こうした情勢を受けて、業界の現状を示す象徴的な現象が、昭和44年(1969年)に創立された消費者金融業の任意団体「日本消費者金融協会」―(JAPAN  CONSUMER  FINANCE  ASSOCIATION = JCFA) の、加盟社数の減少を如実に表している。

つまり最盛期に150社あった加盟社の数が、JCFAのPR誌(平成20年6月号)によれば、なんとか中堅以上の業績順調な業者ばかりの40社となる。しかも2年後の今年になる、何と27社と激減しているのだ(22年5月号)。

2年間の減少は"わずか"13社ではないかといわれそうだが、実は驚きの数字なのである。

勿論、前記の『改正貸金業法』は、消費者保護のためであることは、いうまでもない。

ただ、これだけ厳しい規制があると、業者は減る一方で、借先が少なくなる上、貸倒れをこれまで以上に極力抑える必要から、間違いなく良客選びで、"貸渋り"が発生することになる。

となると、借手が我慢できればいいが、どうしても金が必要となれば、金利が高く取立ても厳しい、いわゆる"法律無視のヤミ金"に頼らざるをえなくなる。近畿財務局の調査によると、近畿地区の貸金業利用者は、2人に1人が新たな借金ができないという。

「過払い金の返還請求」で思わぬ金を手にした利用者も、業者間では要注意客(業界用語・コード71)となり、金を借りたければ"ヤミ金"直行ということになる。

約束の金利で貸したのに、「払いすぎた金利を返せ」と申出た利用者相手に2度と貸す気にならないのは、業者として当り前のこと。ここが重大な落とし穴だろう。すでに"ヤミ金"直行が増えつつあるという。

厳しすぎる法規制は、まさに両刃の剣で、今後の成行きが大きな社会問題になることは必至だ。

映画「難波金融伝」のヤミ金業者・萬田銀次郎の台詞を真似るなら、「ほな、融資さしてもらいまひょ。そやけど念のため言うときまっけど、うちの利息は"といち"(10日で1割の略称=年利365%)でっせ。そこんとこ、よ〜覚えといとくれやっしゃ」。(完)

 参考:平成12年(2000年)JCFA発行「消費者金融素朴な質問77」筆者(山科封児)他の共著。

2010年05月28日

◆山科だより "タマムシ"、"ゾウムシ"

〜「昆虫標本B」〜
             渡邊好造
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山科疎水道で採集した昆虫標本の第3回は、"タマムシ"、"ゾウムシ"、"オトシブミ"、"ハンミョウ"などなど、多種多様の雑居である。
 
"タマムシ"類は、玉虫色の語源にもなっている虹のようにきれいな翅をもつ種類が代表的である。

奈良の法隆寺が所蔵する国宝”玉虫厨子”は、寺院建築を模した高さ2メートル半、7世紀飛鳥時代の仏教工芸品で、写真中央に見られる虹色の「タマムシ」の翅が貼付してあることで知られる逸品である(現在はほとんど剥がれているらしい)。

日本の"タマムシ"類は2百種程が確認されている。

写真の標本箱には8種類、中央の「タマムシ」で胴長3センチ。全種が美しい色をしているわけではない。真ん中下から2段目右端の1頭は、全体が茶色で高年齢女性の顔の皺のような模様があり、”姥”(姥捨て山のうば)を冠して「ウバタマムシ」という有難くない名が付けられている。

"ゾウムシ"類は、その名の通り口先が象の鼻に似ている。日本では1千種位いる。写真の左側上半分にみられるように、箱には8種類、そのうち3列目以下32頭は筆者宅庭の「エゴの木」で採集した1種。

米びつの米にいつのまにか発生し、選り分けて排除するのに苦労させられたのは同種の「コクゾウムシ(穀象虫)」である。標本に加えたかったが、市販の今の米は卵を完全除去していて発生しない。

写真左中央は"オトシブミ"類で、口先は"ゾウムシ"に似ているが種類が異なる。

日本には約30種。"オトシブミ"の語源は、江戸時代他人に気づかれないように見初めた相手にそっと落として渡す、丸めた恋文のこと。
この小さな虫は木の葉を”落とし文”のように丸めてその中に卵を1個産む。これも庭の「エゴの木」で採れた。約8ミリの大きさは「タマムシ」の胴長3センチと比べて約4分の1、台紙上の整肢が大変。

左下段は"ハムシ"類で、日本では8百種。農作物を食荒らす害虫が多い。

"ハンミョウ"類は、"タマムシ"の左上5頭である。日本では22種。この種は捕虫網がないと絶対に採れないほど素早い。

筆者は、蝶、蛾、蜂、虻など飛翔する昆虫は採らないが、この「ナミハンミョウ」だけは緑・赤・青の金属光沢の見事な色遣いに魅せられて捕虫網を使った。

昆虫写真家の伊藤年一氏は『怖いくらい美しい』と表現していた(読売新聞・平成22年4月8日)。歩いて行く先々へ飛んでは止まるので別名「みちしるべ」、「みちおしえ」と呼ばれる。写真の「ナミハンミョウ」は確かに美しいが、「タマムシ」と同様に”姥”と呼ばれてもしかたのない種類もいる。

その下の1頭、"カミキリ虫"類と形も飛び方もよくにているが"ジョウカイボン"類の全くの別種で、体は軟らかい。日本には70種位。
 
右端上4段は、"コメツキ虫"類で日本では600種、箱には12種。仰向けにすると跳ね上がって元に戻るのが米をつく動作に似ていることからこの名がついた。

その下6頭は"シデムシ"類。動物の死体をエサにして、死体があると出てくる"死出"という意味がある。日本では20種位。

右側最下段は、"ナナフシ"で、日本で20種ほど確認されている。節が多いという意味で"七節"。草食性、木の枝や葉にそっくりの擬態で鳥などから身を守る。"竹節虫"ともいう。

ところで、筆者の昆虫標本作成の始まりは大阪市東住吉区の長居公園(JR阪和線・長居駅近く)である。

生れは大阪都島だが、昭和18年(1943年)から20年間この地に住んだ。当初この辺りは雑木林か畑地で昆虫の宝庫だった。その後10年位の間に競馬場、オートレース場、競輪場が造られたが、現存する"臨南寺(曹洞宗)" の周囲だけはクヌギ林など 昆虫が集まる環境はまだ十分に残されていた。

ところが今では公園とはいえ、大阪女子マラソンの発着誘導路、長居競技場、臨南寺、どこを見ても昔の自然の様相はない。道路が舗装され周りにいくら街路樹を植えても雑木林でないと昆虫は減り、そしてそれをエサとする鳥も少なくなる。

自然環境のなくなった長居公園に当時の昆虫が生き残っているとはとても思えない。山科疎水道だけは絶対にそうなってほしくない。(完)

追記--去る5月8日、山科区民部・まちづくり推進課発行「京都山科・東西南北」と題した60ページ程のB4版PRパンフが配布された。2年間の労作である。

これに比べて本誌で1年半かけて連載した筆者の”山科だより”に遜色はなく、大いに自信を深めた次第。昆虫についても触れてはいるがゲンジホタル”が山科に復活したことと、山科の固有種”ミドリセンチコガネ”の2種のみ、ほんの半ページである。(完)

2010年05月17日

◆時代と共に変わる職業イメージ

渡邊好造

約50年前の学生にとって、超エリートの花形職業は銀行であった。

同時期に筆者が就職したのは広告代理店業。ある洋酒メーカーの社員を対象にした意識調査の結果を卒業論文にしたこともあって、広告代理店業としては時代に先駆けて創部された調査部に配属となる。

一日中調査票や調査報告書の作成に取組み、徹夜作業も度々で、大阪のメイン道路・御堂筋からの市電の音で目覚めさせられた。

仕事内容には大満足だったが、当時の広告代理店業のイメージは良いとはいえず、明治生れの父親は、「大学まで出て"広告屋"か」と不満気だった。

銀行か商社を期待していたのだろう。入社した会社のビル1階エレベーター押ボタン横には『押売り"広告屋"お断り』のプレートが貼付されていたのでも分かるように、広告代理店業は押売りと同等のイメージを引きずっていたのである。

ところが、社員の方は"広告屋"とはチラシ広告などを扱う小さな会社のことで、自分達の会社のことではないと考えていたらしく、貼られたプレートを気にしている様子はなかった。

その後、テレビ広告費の急増にともなって目覚しい発展をみせ、5年も経たないうちに"アドバタイジング・エ-ジェンシ-"と言換えられ花形職業に変貌した。

筆者は広告代理店業で調査、営業、企画を17年余り経験し、昭和53年(1978年)消費者金融業に転職した。

この業界も高利や不当取立などで非難のマトになっていて、当時のイメージは最低だった。しかし、人材不足の新興職業ということもあって、これまでの経験を活かせる仕事はいくらでもあったし、実入りも悪くなかった。

それに、広告代理店業と同様に業界のリーダーや経営者の考え方次第で好イメージに転換するはず、とアドバイスしてくれた年齢一まわり先輩の後押しも大きい。

その折にイメージ好変の典型例として話してくれたのが、現代の花形エリ-ト職業"弁護士"の明治時代からの経緯である。

『弁護士は、明治維新の西洋式裁判制度導入当初"代言人"といわれ、”三百代言”という蔑みの異名まで生み出している。刑事・民事事件のもめごとを3百文で引受け飯の種にする卑しい輩、それが"代言人"というわけである。

保守的な京都では「家貸すな」「娘を嫁にやるな」といわれたくらいで、口が達者だから何のかのとイチャモンをつけられて苦労させられる、として嫌われた。

こうした風潮をなげいた良心的な"代言人"の中から免許制にすべしとの意見もでて、明治9年(1976年)"代言人"規則の制定により公式に認知され、昭和に入って法律も成立した。

 しかし、高額の免許料や低収入の依頼人ばかりで儲からない。あげくは無免許の"代言人"が横行し取締りも十分ではなかった。今のように国家権力から完全に独立できたのは、新弁護士法ができた昭和24年(1949年)だという。』

"代言人"については、昭和56年(1981年)週刊新潮に連載された和久俊三の小説「代言人 落合源太郎」に詳しいが、筆者はその3年前の転職時に概要を聞かされた。

その後、消費者金融業界は数社が株式上場し、業績もイメージも飛躍的に向上した。"代言人"の例をみるまでもなく、どんな職業も好イメージ確立までには先人達の普段の弛まぬ努力があってこそであり、そう簡単に達成されないことは言うまでもない。

現在、紆余曲折があって銀行は超エリート業とは言えないし、広告代理店業は広告メデイア事情の変革で楽ではない、消費者金融業は法律の改定で廃業に追込まれかねないほどの苦戦を強いられている。

いずれもこれまで積上げた折角の好イメージも下降気味である。当り前のことだが”時代とともに職業イメージは変る”。職業選びは将来を見据えて慎重であるべしだが、20年も30年も先のことは予測しにくい。まあ今思えば筆者の場合「丁か半か、えいや〜!」だった。(完)


2010年05月05日

◆山科だより「"ゴミ虫""オサ虫"、"セミ"」

 〜昆虫標本A〜  渡邊好造 

山科疎水道で採集された昆虫標本の第2回として、甲虫目(鞘肢目)オサ虫科の"ゴミ虫"(写真左半分上)と"オサ虫"(同下)、それにカメ虫目(半肢目)セミ科の"セミ"(同右半分)を紹介する。

オサ虫科は、別称・歩行虫科といわれるように飛べない種類で、通常4枚ある羽根のうち2枚の内羽根が退化している。その代り6本の脚は発達し歩行スピードは早い。他種の幼虫や腐肉などを食べる肉食系である。

"ゴミ虫"は、日本では1千種近くいるといわれ、以前は住宅地の溝などにもたくさん生息していたが、道路舗装が行届いたこともあり少なくなった(写真では15種類)。
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とくによく知られていたのは「ミイデラゴミ虫」で(写真にはない)、体長は2センチ位、捕えるとお尻から刺激臭の強いガスを噴射し、体全体が黄色で(ガスも黄色)黒い斑点がある。山科では未だ見かけない。俗には「ヘコキ虫」とか「ヘッピリ虫」ともいった。

"オサ虫"(写真では5種類)は、夏の活動期、落葉の下などに単独で潜んでいる夜行性で、寒くなると土中で集団越冬する。日本では20種余りと少ない。
 
効率よく採集するには2つの方法がある。肉食なので腐肉などをいれた広口ビンを土中に埋め、匂いにつられて落込み上がれなったのを採る、土が凍結する前の11月頃に鍬で山道の土手の土を掘り越冬場所を探リ当てて採る、などである。

 (写真左下から2段目の首の長い"オサ虫"は「<コ>マイマイカブリ」(胴長4センチ位)で、"かたつむり(別称・まいまい)"の殻の中に頭を入れて食べるのに便利な造りになっていてこの名がついた。)

鉄腕アトムの漫画で有名な「手塚治虫」は虫好きが高じて、本名「治(おさむ)」を"オサ虫"にちなんでペンネームを本名と同じ読みで「治虫」とした。

セミ科の"セミ"は、水生昆虫の"タガメ"、"アメンボ"と同類のカメ虫目で口器が細長く硬いのが共通点である。"セミ"は木の幹に産みつけられた卵から成虫になるまで土中生活に3〜17年以上かかる長命で、土中から這い出し成虫で約1ヶ月生存する。地上に出て1週間で死ぬと言われたこともあるが、成虫を人工飼育するのが難しいための誤解らしい。

鳴いているのは雄で行動は素早く、雌は比較的簡単に採れる。よく知られた種類は、写真右端上4頭の「ニイニイゼミ」、その左側2頭の「クマゼミ」(もともと本州西に生息する種類だが最近は東京でも増えた)、さらにその下2頭の「アブラゼミ」、さらにその下8頭の「ツクツクボウシ」であろう。真ん中最下段は羽化前の姿(多分「アブラゼミ」)である。

なお、"セミ"の属するカメ虫科の主流"カメ虫"(形が亀の甲羅に似ている)は、触ると強烈に嫌な臭いを発し、手、体はもちろん家の中だと部屋中に臭いが付着してしばらく消えない。色が毒々しいだけで臭くないのもいるが、筆者のような虫好きでも採る気はしない。

"セミ"を食べるのは日本では沖縄だけ、中国、東南アジア、アメリカでは煮付け、から揚げ、炒め物にする。筆者は"イナゴ"や"トンボ"を食べたことがあり、同じような味なら美味いに違いない。

アメリカには13年、17年かけて成虫になる"13年セミ"と"17年セミ"がいる。13と17の数字から"素数セミ"というのが総称で、"13年セミ"(南部中心)には4種類、"17年セミ"(北部中心)には3種類がいてその7種類はそれぞれ発生エリア、発生年度が異なるらしい。

したがって、13年と17年の間に"セミ"のまったく発生しない年があるわけではない。

ところが他の種も含めて大量発生する年があり、多い年は全米で合計60〜70億匹の"セミ"がウヨウヨ、百メートル四方に40万匹という。これだけ周りにいて鳴き出したらうるさくて堪らないが、いっそ食べてやれという気になるか、気持ち悪くなるかのどちらだろうか。一度ぜひ見てみたい。

日本の"セミ"は20種ほど確認されていて、写真の標本箱には7種収められている。"セミ"の生存種数からみても山科疎水道の自然は一杯である。(完)

タグ:昆虫標本

2010年04月27日

◆「利息の過払い金返還請求」業務

渡邊好造

最近、弁護士・司法書士が金融会社に対する「利息の過払い金返還請求」を業務にして、テレビ広告、新聞広告、交通広告で盛んに勧誘をしている。

この業務について、4月21日付の読売新聞・朝刊に『弁護士の安直面談横行』のタイトルで日本弁護士連合会(日弁連)が、依頼者とのトラブルを防ぐための指針を強化する、とあった。

貸金業者は、利息制限法(上限金利15〜20%)と出資法(同29,2%)の間のいわゆるグレーゾーン金利で融資するのが通例であったが、平成18年(2006年)1月の最高裁でグレーゾーン金利を認めないとの判決が下った。

そのため、多重債務者らは弁護士や司法書士を代理人にして、これまでに払い過ぎた15〜20%以上の金利分(過払い金)の返還請求をし始めた。これが「利息の過払い金返還請求」である。貸金業者にとってはいったん利益計上した分をはきだす破目となり、その引当金がなく、廃業が続出している。
 
一方、代理人を引受けた一部の弁護士や司法書士の中には、報酬の上限規定のない丸儲け商売のチャンスとばかりに飛びつき、事務的に処理をして債務者の味方のフリをするだけの者が出てきた。返還分2百万円のうち6割の手数料を徴収した例もあるらしい。こうまで大量で派手な広告展開をするのは、そんな悪質な魂胆があるからだと、筆者は考える。

多重債務者は、返還可能な利息額、必要な経費などについて代理人からきちんと説明を受けているのだろうか。説明を受けたとしても、理解できたのだろうか。金融に疎いことから多重債務者になった面もあり、「トイチの利息(10日に1割の利息=年360%)」、「日歩5銭(100円につき1日5銭の利息=年18、25%)」、「実質年利20%」などなど、簡単な金利表示の意味も分らないのではないか。

金利に無関心なのは一般にもある。

銀行から自分の金を引出すのに営業時間外や他行からだと手数料として1回105円徴収されるのを文句も言わず、不当な手数料だと思わないこともその一例である。

今仮に3万円(一回の平均必要額はこの程度)を時間外に引出し105円負担したとすると、利息制限法の上限金利20%では1日16、5円(日歩5、5銭)、つまり105円は自分の預金なのに6、36日分(105/16、5)の利息を払っていることになる(引出す金額が3万円以上だと利率は低くなるが、、)。

さらにいえば、3万円を6日以内に返せるなら、自分の預金を引出さずに貸金業者から借りた方が安上がりということになる。

こうした理屈をすぐに理解できる人は少ない。まして金銭感覚の乏しい多重債務者となれば尚更だし、彼らは返還金で身が軽くなったと錯覚してまた借金を重ねる可能性大である。

借金は、盗撮、オサワリ、万引き、バクチ、パチンコなどにのめりこむのと同じく、常人には理解しがたい病気のような面がある、と筆者は考える。そして「利息の過払い返還金」を受取ると、業界用語”コード71”という貸付禁止者に登録されるし(決定ではないらしいが貸すはずがない)、6月からの総量規制(無担保借入金合計は年収の3分の1以下)と重なり、不足分は高利のヤミ金に頼らざるをえない。

こんな安直で有害な業務がまかり通らないためにも、「利息の過払い金返還請求」業務に対して早急に法の網をかける必要がある。さらに、アメリカで実施されているという”多重債務病”を治療する「病院」(クレジットカードを切り刻むことから始めるカウンセリング)の設立も急務ではないか。

日弁連会長・宇都宮健児先生はこうした「利息の過払い金返還請求」業務の行き過ぎについてあるテレビ番組内で批判しておられた。ところが、宇都宮先生の出演された番組スポンサーの中に批判対象社が入っていたのだから、何をかいわんやである。(完)
 

2010年04月14日

◆山科だより「昆虫標本@ー”カミキリ虫”」 

渡邊好造

筆者の趣味の一つに「昆虫標本の作成」がある。リタイヤ後の10年間に山科疎水道で採集した昆虫を通じて、自然の残る山科を紹介したい。

山科だより「昆虫標本」1回目は”カミキリ虫”である。”カミキリ虫”は専門用語でいうと甲虫目(鞘肢目)カミキリ虫科に属し、顎が発達していて髪の毛も切断するということからこの名がついた。

昭和30年(1955年)頃、日本の”カミキリ虫”は約650種類いたらしい。そのうち120種類の標本を作成し、高校卒業時に”コガネ虫”など他の種類の昆虫とともにそっくり寄贈した。

ギブアップしたのは大学受験だった。8歳から18歳まで10年かかって作成したその標本が今も母校に保管されているとはとても思えないが、もし残っていたらすでに絶滅種になったものもあるのではないか。

 山科疎水道での採集は捕虫網を持たずに簡単に採れるもの、死んでいたものを拾ったり、踏みつけられ潰れてはいるが修復可能だったものなどで、昔のように本気で取組んでいればもっと多くの種類が集められたに違いない。採集シーズンは毎年5〜9月。

 写真の標本箱には28種の”カミキリ虫”が収められている。右下の右から2番目「シロスジカミキリ」は、胴長が5センチあり日本の”カミキリ虫”最大型種である。南アメリカや東南アジアの熱帯・亜熱帯地区では、胴長10〜15センチでもっとカラフルなものがいる。

”カミキリ虫”は害虫とは限らないが、左上から3列目までの14頭、黒地に白点の「ゴマダラカミキリ」などは生木をかじる厄介者で、3年ほど前(?)にフランスへ輸出した盆栽に卵が発見され大問題になったことがある。

 樹木の表皮をかじる(フトカミキリ)、花の蜜に集まる(ハナカミキリ)、朽木に巣くう(サビカミキリ)、羽根の文様が虎に似ているトラカミキリ)、触角が胴体の3倍半もある(ヒゲナガカミキリ)、4枚羽根の外羽根が半分しかない(コバネカミキリ)、などなど”カミキリ虫”の種類は実に多彩である。

動作は鈍いがいずれの種類も空中を飛ぶ。真ん中のゴキブリに似た7頭は、触角がノコギリの刃に似ているので「ノコギリカミキリ」といい、ゴキブリのように体がフニャフニャでない。

左下隅の台紙に貼付した小型種(写真では識別困難だが、、)ももちろん”カミキリ虫”である。

 標本は1頭残らず採集日、採集場所(もちろん山科)、採集者のイニシアル(筆者・KW))の手書きのラベルがつけてある。整肢作業をし(脱脂綿の上で形を整え4〜6日乾燥させる。小型種は台紙の上でピンセットや針で整肢し糊付け)、そしてこのラベル作成も面倒な作業であるが、標本箱におさまった姿をみると感慨ひとしおなのである。余人にはわからんでしょうな〜。

 家内をはじめ周辺に虫嫌いが多く、これまで他人への披露を控え一人眺めてほくそえんでいたが、「そうだ、"百家争鳴"の読者にみてもらおう!」と思いついた次第。虫嫌いの人、ごめんなさい。(完)

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タグ:昆虫標本