2010年04月27日

◆「利息の過払い金返還請求」業務

渡邊好造

最近、弁護士・司法書士が金融会社に対する「利息の過払い金返還請求」を業務にして、テレビ広告、新聞広告、交通広告で盛んに勧誘をしている。

この業務について、4月21日付の読売新聞・朝刊に『弁護士の安直面談横行』のタイトルで日本弁護士連合会(日弁連)が、依頼者とのトラブルを防ぐための指針を強化する、とあった。

貸金業者は、利息制限法(上限金利15〜20%)と出資法(同29,2%)の間のいわゆるグレーゾーン金利で融資するのが通例であったが、平成18年(2006年)1月の最高裁でグレーゾーン金利を認めないとの判決が下った。

そのため、多重債務者らは弁護士や司法書士を代理人にして、これまでに払い過ぎた15〜20%以上の金利分(過払い金)の返還請求をし始めた。これが「利息の過払い金返還請求」である。貸金業者にとってはいったん利益計上した分をはきだす破目となり、その引当金がなく、廃業が続出している。
 
一方、代理人を引受けた一部の弁護士や司法書士の中には、報酬の上限規定のない丸儲け商売のチャンスとばかりに飛びつき、事務的に処理をして債務者の味方のフリをするだけの者が出てきた。返還分2百万円のうち6割の手数料を徴収した例もあるらしい。こうまで大量で派手な広告展開をするのは、そんな悪質な魂胆があるからだと、筆者は考える。

多重債務者は、返還可能な利息額、必要な経費などについて代理人からきちんと説明を受けているのだろうか。説明を受けたとしても、理解できたのだろうか。金融に疎いことから多重債務者になった面もあり、「トイチの利息(10日に1割の利息=年360%)」、「日歩5銭(100円につき1日5銭の利息=年18、25%)」、「実質年利20%」などなど、簡単な金利表示の意味も分らないのではないか。

金利に無関心なのは一般にもある。

銀行から自分の金を引出すのに営業時間外や他行からだと手数料として1回105円徴収されるのを文句も言わず、不当な手数料だと思わないこともその一例である。

今仮に3万円(一回の平均必要額はこの程度)を時間外に引出し105円負担したとすると、利息制限法の上限金利20%では1日16、5円(日歩5、5銭)、つまり105円は自分の預金なのに6、36日分(105/16、5)の利息を払っていることになる(引出す金額が3万円以上だと利率は低くなるが、、)。

さらにいえば、3万円を6日以内に返せるなら、自分の預金を引出さずに貸金業者から借りた方が安上がりということになる。

こうした理屈をすぐに理解できる人は少ない。まして金銭感覚の乏しい多重債務者となれば尚更だし、彼らは返還金で身が軽くなったと錯覚してまた借金を重ねる可能性大である。

借金は、盗撮、オサワリ、万引き、バクチ、パチンコなどにのめりこむのと同じく、常人には理解しがたい病気のような面がある、と筆者は考える。そして「利息の過払い返還金」を受取ると、業界用語”コード71”という貸付禁止者に登録されるし(決定ではないらしいが貸すはずがない)、6月からの総量規制(無担保借入金合計は年収の3分の1以下)と重なり、不足分は高利のヤミ金に頼らざるをえない。

こんな安直で有害な業務がまかり通らないためにも、「利息の過払い金返還請求」業務に対して早急に法の網をかける必要がある。さらに、アメリカで実施されているという”多重債務病”を治療する「病院」(クレジットカードを切り刻むことから始めるカウンセリング)の設立も急務ではないか。

日弁連会長・宇都宮健児先生はこうした「利息の過払い金返還請求」業務の行き過ぎについてあるテレビ番組内で批判しておられた。ところが、宇都宮先生の出演された番組スポンサーの中に批判対象社が入っていたのだから、何をかいわんやである。(完)
 

2010年04月14日

◆山科だより「昆虫標本@ー”カミキリ虫”」 

渡邊好造

筆者の趣味の一つに「昆虫標本の作成」がある。リタイヤ後の10年間に山科疎水道で採集した昆虫を通じて、自然の残る山科を紹介したい。

山科だより「昆虫標本」1回目は”カミキリ虫”である。”カミキリ虫”は専門用語でいうと甲虫目(鞘肢目)カミキリ虫科に属し、顎が発達していて髪の毛も切断するということからこの名がついた。

昭和30年(1955年)頃、日本の”カミキリ虫”は約650種類いたらしい。そのうち120種類の標本を作成し、高校卒業時に”コガネ虫”など他の種類の昆虫とともにそっくり寄贈した。

ギブアップしたのは大学受験だった。8歳から18歳まで10年かかって作成したその標本が今も母校に保管されているとはとても思えないが、もし残っていたらすでに絶滅種になったものもあるのではないか。

 山科疎水道での採集は捕虫網を持たずに簡単に採れるもの、死んでいたものを拾ったり、踏みつけられ潰れてはいるが修復可能だったものなどで、昔のように本気で取組んでいればもっと多くの種類が集められたに違いない。採集シーズンは毎年5〜9月。

 写真の標本箱には28種の”カミキリ虫”が収められている。右下の右から2番目「シロスジカミキリ」は、胴長が5センチあり日本の”カミキリ虫”最大型種である。南アメリカや東南アジアの熱帯・亜熱帯地区では、胴長10〜15センチでもっとカラフルなものがいる。

”カミキリ虫”は害虫とは限らないが、左上から3列目までの14頭、黒地に白点の「ゴマダラカミキリ」などは生木をかじる厄介者で、3年ほど前(?)にフランスへ輸出した盆栽に卵が発見され大問題になったことがある。

 樹木の表皮をかじる(フトカミキリ)、花の蜜に集まる(ハナカミキリ)、朽木に巣くう(サビカミキリ)、羽根の文様が虎に似ているトラカミキリ)、触角が胴体の3倍半もある(ヒゲナガカミキリ)、4枚羽根の外羽根が半分しかない(コバネカミキリ)、などなど”カミキリ虫”の種類は実に多彩である。

動作は鈍いがいずれの種類も空中を飛ぶ。真ん中のゴキブリに似た7頭は、触角がノコギリの刃に似ているので「ノコギリカミキリ」といい、ゴキブリのように体がフニャフニャでない。

左下隅の台紙に貼付した小型種(写真では識別困難だが、、)ももちろん”カミキリ虫”である。

 標本は1頭残らず採集日、採集場所(もちろん山科)、採集者のイニシアル(筆者・KW))の手書きのラベルがつけてある。整肢作業をし(脱脂綿の上で形を整え4〜6日乾燥させる。小型種は台紙の上でピンセットや針で整肢し糊付け)、そしてこのラベル作成も面倒な作業であるが、標本箱におさまった姿をみると感慨ひとしおなのである。余人にはわからんでしょうな〜。

 家内をはじめ周辺に虫嫌いが多く、これまで他人への披露を控え一人眺めてほくそえんでいたが、「そうだ、"百家争鳴"の読者にみてもらおう!」と思いついた次第。虫嫌いの人、ごめんなさい。(完)

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タグ:昆虫標本

2010年04月09日

◆山科だより 疎水の桜

渡邊好造  

山科疎水道の桜が満開になりました。筆者宅から東へ疎水上流2キロ、安朱橋付近です。

以前、百家争鳴のニュース欄で紹介されていた、菜の花が引抜かれたとの写真は、この逆方向から撮られたものです。
ここから北(写真の右方向)へ行くと、浅野内匠頭の供養塔がある「瑞光院」、狩野益信の描いた襖絵116面で知られる
「毘沙門堂門跡」に至ります。桜は12日(月)の降雨で散るとのこと。 
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2010年03月29日

◆相撲が面白くなくなった

渡邊好造

大相撲大阪場所は”白鵬”の優勝で終ったが、50数年前からの相撲ファンとして何か物足りない思いにかられた。”朝青龍”の型破りな"陽"の存在がなくなったからで、”白鵬”の礼儀正しい"陰"だけでは物足りないのが第一の理由である。

ニコッと笑った時の愛らしさ、憎たらしいほどの強さ、新しい技を次々繰り出す器用さ、行司の引退時にまで気配りをする優しさ、感情が顔や態度、言葉に出る単純さなど、”朝青龍”は実に魅力あふれる力士だった。

横綱としての品位に欠けるなどと集中砲火を浴びて引退せざるをえなくなったのは、女人禁制であるはずの横綱審議委員の一員に、あのギョロ眼のオバチャンがいたせいである。

土俵場でガッツポーズをした、ケンカして相手をケガさせたとかいうが、優勝した時のガッツポーズ位は許してやれば、、、。

ケンカについても本人は否定しているし、ケガをした相手も訴えていない、警察も調べていない(?)。要は”朝青龍”を徹底して嫌うあのオバチャンがいなけりゃ、裏でなんとかまるめこんで、ウヤムヤになっていた話ではないか。

噂によれば、あのギョロメ眼のオバチャンは相撲界はもちろん横綱審議委員の中でも融通のきかない鼻つまみの存在だったという。強ければなんでも許されるというわけではないが、ボクシングの”亀〇〇○”のようにルールを無視したわけではない。

暗黙の伝統様式美にそぐわなかっただけのことである。”朝青龍”に問題があるというならば、”栃東(元・関脇、現・玉の井親方)”が優勝時にやったガッツポーズ、手の平一杯に鷲掴みにした塩を土俵に撒き散らした”水戸泉(元・関脇、現・錦戸親方)”らにも「やるな」と言うべきだったし、”高見盛”の目に余るオーバーなパフォーマンス、”白鵬”が負けた時の舌出しなども、今のうちに注意すべきである。

結局は、”朝青龍”が短期間に出世し、あまりにも強すぎたから暴力事件が話題になるまで苦言を言えなかっただけのこと、、。おそらくこれまでにも何かと問題があったはずで、その後”横綱・白鵬”の台頭でこの際、、、と見切りをつけられたのである。ギョロ眼のオバチャンを初めとして、”朝青龍”の行為をこれまで見逃してきた周りの人が悪い。

かって、日本の伝統スポーツである柔道が国際化し、柔道着をカラーにするかどうかでひと悶着あったりしたが、カラー化どころか今ではガッツポーズは当たり前、審判に猛抗議したり、優勝して試合場で泣き伏す奴もいるではないか。相撲界に外人を入れるなら”朝青龍”のレベルにあわせて横綱の品位の定義を下方修正するべしだった。優勝したら土俵上で宙返りをしてもいいというわけではないが、、。

最近、日本人力士と外人力士との対戦ではつい外人力士を応援してしまう。外人力士のインタビューの際の流暢な日本語、しかも日本人好みの回答を聞くと「ここまで到達するのに苦労しただろうな〜」と想像し、グッと胸にくるものがある。

日本人にも海外で活躍したスポーツマンは多いが、インタビューに対して通訳なしに現地語で流暢に答えていたのは、サッカーの”中田英寿”以外に知らない。しかし、”中田”の場合は下積み生活から外地で叩き上げられたものではない。ほとんどなにも分らず相撲界に飛込んで技、ルール、作法、食事、習慣、言葉を一から覚えたのとは様子が違う。

優勝回数25回という史上3位の相撲界貢献者”朝青龍”に対して無理やり引退させる首切り同然のやり方ではなく、「体調が悪い」、「ケガをした」といったそれなりの理由をみつけて休場扱いにしてやれなかったのか。外人力士に"おんぶに抱っこ"のくせに丁寧に指導しない、なによりもいざという時かばってやらない日本人の方が品位に欠ける、、。 

品位をツベコベいうなら、相撲界に外人を一切いれなければいい。もう一度言う、”朝青龍”を追出したあのギョロ眼のオバチャンのせいで相撲が面白くなくなった。(完)<評論家>


2010年03月20日

◆山科だより・日本初の産業用水力発電所

渡邊好造

山科区にある京都市最大の施設は”琵琶湖疎水(山科疎水)”である。

明治維新後、首都が東京に移ったことで人口の3分の1が流出し、このままだと京都は沈没するのではないか、そんな危機感もあって産業振興の狙いから手がけられたのが琵琶湖の水をひく疎水建設で、京都のあせりが生み出した産物といえる。

疎水は滋賀県大津市の観音寺、三井寺辺りを基点にして山科区北部の山の斜面に沿って、左京区蹴上までの約11キロメートルにわたる水路である。

明治18年(1885年)に日本人技師のみで着工した最初の大工事で110年前の明治23年(1890年)に完成した。日本初の"産業用"水力発電所建設が最大目的で、これにより蹴上発電所が翌明治24年(1891年)に稼動(現在も無人で運転中)、明治28年(1895年)この電力により国内初の市電が京都市内で運行された。

なお、最初の水力発電所は明治21年(1888年)の仙台市三居沢(さんきょざわ)発電所で、国指定有形文化財として今も残されている。

疎水建設の当初予算は60万円だったのが、明治政府の意向もあって、最終的には125万円に倍化され、当時の京都府年間予算の2倍に相当した(資料・京都市上下水道局)。

使用したレンガは1370万個、地下鉄・御陵駅の近くにレンガ工場跡の記念碑がある。現在の水路は、何回もセメントを吹付けて改修されているので、表面にレンガはない。

疎水は、大津・京都間の船による輸送手段としても活用され、昭和23年(1948年)まで利用された。そうした船便の名残りが、”蹴上インクライン(台車を使って船を引張り上げる線路)”の遺跡である。疎水は山科日ノ岡までの傾斜は緩いが、ここから蹴上へは急な下り坂となるので、このインクラインが利用された。

また、疎水の水路北側に沿って、上水用として第2疎水建設工事が明治41年(1908年)に着工され、明治45年(1912年)に完成した。こちらは全て暗渠となっているため山科の住民でも知らない人が多い。

筆者宅から疎水までの距離は約100メートル。ちょうどそこには3つ目の疎水トンネル(トンネルは全部で4つ)の入口があり、明治時代の政治家・井上 馨の揮豪による偏額(門戸等に掲げる横に長い額)が、当時のまま埋めこんである。

偏額には『仁呂山悦智為水歓』(じんはやまをもってよろこび ちはみずのためによろこぶ = 仁者は動かない山によろこび 智者は流れゆく水によろこぶ)の8文字が彫られている。京都あげての力の入れようが、ここにも残る。
 
京都はお寺中心の古都の印象が強いが、明治維新後は産業面でなんとか振興をはかろうと、日本の最先端技術を駆使して走り始めていた。
 
疎水に関しては、平成元年(1989年)8月に完成した左京区「琵琶湖疎水記念館」(地下鉄東西線・蹴上駅下車)に詳しい。
 
ところで、京都市左京区の南禅寺境内には、ヨーロッパ遺跡に似た赤レンガ造りの「水路閣」(疎水の水をひく水道橋)が残されているが、建設当時は京都の景観を損ねるとして大反対運動が展開されたらしい。

そんな反対運動の心意気が在ったのなら、何故あの悪名高い「京都タワー」建設時(昭和39年=1964年)にどうして発揮されなかったのだろうか。当時の京都市の人口131万人にあわせて高さ131メートルの灯台を模したコンクリート・タワーが古都京都にふさわしいと考えた連中がいたとは、とても解せない。

京都市は新景観条例を制定し、建物の高さ(最高31メートル)や看板の色・デザインを規制強化し、将来は市電の復活、電線電柱の地下化を目指す、といった百年河清を待つような方針が今頃になって出始めている。

NHK京都放送局のTVニュース番組の放送終了時、京都市内の夜景の画面中央にライトアップされた不釣合いな京都タワーが突き出しているのをみるたびに腹立たしい思いにさせられる。(完)

< 写真は、山科疎水トンネル入口にある扁額です。疎水は現在清掃中のため1月中旬から水抜きされていて、桜の咲き始めまでに満水となります。もうすぐですー渡邊好造 >


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2010年03月04日

◆" 山科疎水”でまもなく満開

渡邊好造

山科疎水では、まもなく写真のように八重桜が満開の頃を
迎えます。この写真は、昨年4月に撮ったものです。

疎水の桜は「ソメイヨシノ」(4月初め満開)が中心で、
八重桜は3.3キロのジョギングコースに20本くらいしかありません。

右側のコンクリート柱は、天智天皇陵の裏側にある塀です。

4月の山科疎水は、見事な桜花に覆われ優雅な気分へと
誘われます。是非、山科疎水の桜をご覧になりに来てください。
                        (完)

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2010年03月01日

◆“カチンと来る言い方をする奴”

渡邊好造

約40年間のサラリーマン時代を振り返ると、研修や会議などの顧問やアドバイザ-として招請した大学の先生、コンサルタント会社の講師、そして上司や同僚で上から目線の”カチンとくる言い方をする奴”がいて腹立たしい思いをしたことが何回もあった

この稿執筆にあたっては、"新 将命(あたらしまさみ/現・国際ビジネスブレイン社長)"氏が20数年前に雑誌「ボイス」に掲載した「イヤミなタイプ」の痛快な文章を思い出した。

そこで同氏が挙げた4つの(?)「イヤミなタイプ」に付加え、表題のように言換えて羅列すると、、、。(*印は、原文がなく、筆者の記憶にある新氏の指摘)。
1)「質問の意味が不明だ。もう一度分かるように説明してくれ」(質問に質問で返し、その間に答えを考える奴)
2)「いい質問です。今の質問はこれまでのなかで一番素晴らしい」(何様の積もりか、一番偉いと思っている奴*)
3)「それは、こう言換えたらよく分るんじゃないかな」(勝手に言換える奴)

4)「どっかで聞いたような話だな。まあいいや進めてくれ」(話の腰を折る奴)
5)「そんなところで結論となりそうだが、私の視点はまったく違うな」(まとまりかけているのに振出しに戻す奴*)
6)「だからさっきから言ってるだろ。同じことを何回も言わすなよ」(説明の仕方が悪いことに気付かない奴)

7)「こんな言い方したら怒るかもしれないけど、、」(と言いながらわざと怒らせる言い方をする奴)
8)「言い分はよく分った。要するにこういうことか。」(勝手に要約する奴)
9)「これまで出た意見を整理してみると、こういうことになるな、、」(自分の意見を言わずまとめ役だけをする奴)

10)「うっかり寝てしまいそうになったが、こんなふうに考えたらどうだ、、。」(寝たふりしていていきなり喋りだす奴)
11)「どうしてそんなに国際感覚に乏しいんだ。それに語学力もない」(自分だけが別格の選民と思っている奴*)
12)「この意見には最近お会いした著名な○○さんも賛成してくれたが、、」(著名人の威光にすがる奴*)

13)「議論するならあらかじめもっと勉強してこいよ」(知ったかぶりをする奴)
14)「自分が何を言おうとしているのか分っているのか」(見解の違いを押さえつける奴)
15)「よくそんないい加減なことばかり言ってられるな」(いい加減と勝手に決めつける奴)

16)「真面目に議論したらそんな結論になる筈がない」(初めから結論を用意し押付ける奴)
17)「それで相手が納得すると思うか、よく考えろ」(自分の意見と違えば納得しない奴)
18)「またその話か、何回も同じ話を繰り返すなよ」(初めて聞く人もいると思わない奴)

19)「活発に議論しているようにみえるが、的外れもいいとこだ。」(何か文句をつけようと待っている奴)
20)「意見はいろいろだったな。よくわかった。今日はこれまで」(なにも発言せずあとで自説として引用する奴)

補足すると、「”カチンとくる言い方をする奴”は、あんた自身じゃなかったのか?」。(「反省してま〜す」、「チツ、うるせ〜な」)
<完>


2010年02月17日

◆山科だより「門跡寺院」

渡邊好造

日本全国の寺院数は約18万3千、「日本寺院総監」に掲載されているのは7万6千というが、皇族や摂家などのいわゆる高格式者の出家の対象となる『門跡(もんぜき)寺院』は、京都を中心に全部で30余りしかない。

第59代宇多天皇が、寛平10年(平安時代・898年)法皇となり、京都(右京区)の”仁和寺(にんなじ=真言宗)”にこもり、「御室(おむろ)門跡」と称したのが”門跡寺院”の始まりである。

鎌倉時代に入って、皇族や摂家が特定の寺院に出家することが定着し、室町時代には寺格としての門跡が確立され、これらの政務を担当する門跡奉行も設けられた。

その後、 江戸幕府は出家者の位階により @宮(みや)門跡、A摂家(せっけ)門跡、B清華(せいが)門跡、C公方(くぼう)門跡、D准(じゅん)門跡の5つの門跡寺院を制度化した。

最上位の「宮門跡」は、親王(皇族)、法親王(親王の宣下をえた僧)の出家者を対象としたもので、13寺院あるうち”輪王寺(りんのうじ=天台宗=茨城県日光市)”、”園満院(えんまんいん=天台宗=滋賀県大津市)”以外は全て宮家の中心であった京都市内にある。

ついでながら、”園満院”については、平成21年(2009年)5月に重要文化財の建物9棟、庭園・土地1万4千平米が寺院の借金返済のために競売となり、約10億円余りで滋賀県甲賀市の宗教法人に落札され、同年8月所有権移転が成立するという所管の文化庁もビックリの異例の事態となった。

ただし、建物以外の文化財は第2次大戦後に京都、奈良、九州などの国立博物館所蔵となっていたため無事である。

「摂家門跡」は、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家とその子弟が、「清華門跡」は、久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院(かさんのいん)、大炊御門(おおいのみかど)、今出川、醍醐、広幡(ひろはた)などの公家、「公方門跡」は武家、「准門跡」は"脇門跡"ともいわれ、特別に認められたその他の高格式者がそれぞれ対象となる。

さて注目したいのは、京都市内11の「宮門跡寺院」のうち3つがここ「山科」にあることで、”勧修寺(かじゅうじ)=真言宗”、”毘沙門堂(びしゃもんどう)=天台宗”、そして”青蓮院・大日堂(だいにちどう)=天台宗=東山区の青蓮院の飛び地庭園”がそれである。

その他の門跡寺院も含めると、”安祥寺(あんしょうじ)=真言宗”、”随心院(ずいしんいん)=真言宗”が加わり、この5寺院については「山科だより」で詳しく紹介してきたが、改めて概略にふれておく。

”勧修寺”は、「山科門跡」ともいい、水戸光圀寄進の勧修寺型燈篭、境内の"氷池園"という名の平安時代・池泉園で知られる。”毘沙門堂”は、狩野益信筆の書院の襖絵116面が有名。”青蓮院・大日堂”は、将軍塚といわれる展望台からの京都中心部と山科の眺望が素晴らしい。

”安祥寺”は、広大な領地を誇り上寺と下寺をもつ寺院であるが、現在院内への入場は残念ながらできない。”随心院”は、平安時代36歌仙の一人"小野小町"一族所縁の邸宅跡に創建された寺院で、境内は国史跡である。

「山科」は、『門跡寺院』の存在でみても、歴史と伝統を引き継ぐ由緒ある京都の一角なのである。 (完)


   

2010年02月02日

◆山科だより 「日清都CC」

渡邊好造

本誌で『古稀でホ-ルインワン』の記事を拝見した。筆者はほぼ同年齢なのに、それとは正反対に、 22年間入会していたゴルフ場に昨年12月退会届けを提出した。一昨年痛めた右足首が思うように完治せず、あと2〜3年はプレ-するつもりが諦めざるをえなくなった。

京都市山科区には、東山連峰中腹・川田梅ヶ谷町に「太閤坦CC(たいこうだいらカントリ-クラブ=東山コ-ス・9ホ-ル)」があり、いずれは、と思いながらプレ-しないままとなった。

このほど退会したのは、JR山科駅そして山科の拙宅、いずれからも車なら20〜30分の京都府宇治市「日清都CC(にっしんみやこカントリ-クラブ=27ホ-ル)」で、親会社はチキンラ-メンで有名な”日清食品”、昭和41年(1966年)に開業した。玄関と食堂からの山科の展望は絶景である。

当クラブは トリッキ-で、広々としたコ-スに慣れた関東のプレ-ヤ-には嫌われる面もあったが、ハンデ6のかっての会社同僚に言わせると、「こんな面白いコ-スは関東にはない。飛ばせばいいだけでなく頭を使わせるという意味では最高のコ-スだ」とのこと。

しかし誰が何と言おうと、筆者にとって近くて便利なだけでなくこんな面白いゴルフ場はないと思ってプレ-してきたし、小学校以来の友人のホ-ルインワンに遭遇し、記念品を頂戴したこともある思い出一杯のコースである。

ここでは、日清食品広告取引関係者(関西のテレビ局、ラジオ局、新聞社、広告代理店などの本社、支社の社員)との親善大コンペが開催され、初期の頃のこの大会で成績の悪かったあるテレビ局の社員が入浴中に「こんな安物のひどいゴルフ場はない!」などと大声で悪口を言った。

そのとき共に浴室にいたのが近年亡くなった親会社の安藤百福・会長で、気付かれないままその場は黙って聞いていたという。そんなことがあった所為ばかりでないだろうが、会長は一念発起、その後クラブ・ハウスは建替えられ、フェアウエ-を広げたりして改修に改修を重ね、今では伸び伸びとプレ-できる関西屈指のゴルフ場となった。

後日談だが、悪口社員のテレビ局には1年間広告発注がストップされ、他社から耳打ちされるまで理由が分らず、うろたえたという。この話は面白おかしく大袈裟に伝えられていて、話半分にするべしは勿論だが、”トイレと風呂場での噂話、とくに悪口ご法度”の見本のような話といえる。

下手なりに永年楽しみ、親しんだ『ゴルフプレ-』をギブアップせざるをえなかったのは残念でならない。

しかし、頭、内臓、指先はなんとか健在だから、これまでどうり「飲酒(種類を問わずコップでグイッ)」、「河川釣り(危険な海釣りは断念、"小型船舶操縦免許2級"は返上予定)」、「昆虫標本の作成(山科疎水道を中心にして採集)」を続けるが、さらにもうひとつの楽しみは本誌『"百家争鳴"への投稿プレ-』である。(完)

<追記>―筆者の退会届け日に茨木高原CCでAクラス入りしたと連絡してきた友人が、1月31日に、なんと『ホールインワンをやってしまった』と言ってきた。

満72歳だ。驚きと羨ましさのいりまじった複雑な心境。おかげでこれをネタに仲間内で一杯飲む機会が増えた。(渡邊)