2015年03月05日

◆時代と共に変わる職業イメージ

渡邊 好造



約50余年前の学生にとって、超エリートの花形職業は「銀行」であった。

同時期に筆者が就職したのは広告代理店業。ある洋酒メーカーの社員を対象にした意識調査の結果を卒業論文にしたこともあって、広告代理店業としては時代に先駆けて創部された調査部に配属となる。

一日中調査票や調査報告書の作成に取組み、徹夜作業も度々で、大阪のメイン道路・御堂筋からの市電の音で目覚めさせられた。

仕事内容には大満足だったが、当時の広告代理店業のイメージは良いとはいえず、明治生れの父親は、「大学まで出て"広告屋"か」と不満気だった。

銀行か商社を期待していたのだろう。入社した会社のビル1階エレベーター押ボタン横には『押売り"広告屋"お断り』のプレートが貼付されていたのでも分かるように、広告代理店業は押売りと同等のイメージを引きずっていたのである。

ところが、社員の方は"広告屋"とはチラシ広告などを扱う小さな会社のことで、自分達の会社のことではないと考えていたらしく、貼られたプレートを気にしている様子はなかった。

その後、テレビ広告費の急増にともなって目覚しい発展をみせ、5年も経たないうちに"アドバタイジング・エ-ジェンシ-"と言換えられ花形職業に変貌した。

筆者は広告代理店業で調査、営業、企画を17年余り経験し、昭和53年(1978年)「消費者金融業」に転職した。

この業界も高利や不当取立などで非難のマトになっていて、当時のイメージは最低だった。しかし、人材不足の新興職業ということもあって、これまでの経験を活かせる仕事はいくらでもあったし、実入りも悪くなかった。

それに、広告代理店業と同様に業界のリーダーや経営者の考え方次第で好イメージに転換するはず、とアドバイスしてくれた年齢一まわり先輩の後押しも大きい。

その折にイメージ好変の典型例として話してくれたのが、現代の花形エリ-ト職業"弁護士"の明治時代からの経緯である。

『弁護士は、明治維新の西洋式裁判制度導入当初"代言人"といわれ、”三百代言”という蔑みの異名まで生み出している。刑事・民事事件のもめごとを3百文で引受け飯の種にする卑しい輩、それが"代言人"というわけである。

保守的な京都では「家貸すな」「娘を嫁にやるな」といわれたくらいで、口が達者だから何のかのとイチャモンをつけられて苦労させられる、として嫌われた。

こうした風潮をなげいた良心的な"代言人"の中から免許制にすべしとの意見もでて、明治9年(1976年)"代言人"規則の制定により公式に認知され、昭和に入って法律も成立した。

しかし、高額の免許料や低収入の依頼人ばかりで儲からない。あげくは無免許の"代言人"が横行し取締りも十分ではなかった。今のように国家権力から完全に独立できたのは、新弁護士法ができた昭和24年(1949年)だという。』

"代言人"については、昭和56年(1981年)週刊新潮に連載された和久俊三の小説「代言人 落合源太郎」に詳しいが、筆者はその3年前の転職時に概要を聞かされた。

その後、消費者金融業界は数社が株式上場し、業績もイメージも飛躍的に向上した。"代言人"の例をみるまでもなく、どんな職業も好イメージ確立までには先人達の普段の弛まぬ努力があってこそであり、そう簡単に達成されないことは言うまでもない。

現在、紆余曲折があって銀行は超エリート業とは言えないし、広告代理店業は広告メデイア事情の変革で楽ではない、消費者金融業は法律の改定で廃業に追込まれかねないほどの苦戦を強いられている。

いずれもこれまで積上げた折角の好イメージも下降気味である。当り前のことだが”時代とともに職業イメージは変る”。

職業選びは将来を見据えて慎重であるべしだが、20年も30年も先のことは予測しにくい。まあ今思えば筆者の場合「丁か半か、えいや〜!」だった。(完)

2015年02月15日

◆昆虫標本 ”カミキリ虫”

渡邊 好造



筆者の趣味の一つに「昆虫標本の作成」がある。リタイヤ後の京都山科疎水道で「昆虫」を採集した。その昆虫を通じて、自然の残る「山科昆虫」を紹介したい。

「昆虫標本」は、”カミキリ虫”である。”カミキリ虫”は専門用語でいうと甲虫目(鞘肢目)カミキリ虫科に属し、顎が発達していて髪の毛も切断するということからこの名がついた。

昭和30年(1955年)頃、日本の”カミキリ虫”は約650種類いたらしい。そのうち120種類の標本を作成し、高校卒業時に”コガネ虫”など他の種類の昆虫とともにそっくり寄贈した。

ギブアップしたのは大学受験だった。8歳から18歳まで10年かかって作成したその標本が、今も母校に保管されているとはとても思えないが、もし残っていたらすでに絶滅種になったものもあるのではないか。

山科疎水道での採集は捕虫網を持たずに簡単に採れるもの、死んでいたものを拾ったり、踏みつけられ潰れてはいるが修復可能だったものなどで、昔のように本気で取組んでいればもっと多くの種類が集められたに違いない。採集シーズンは毎年5〜9月。

標本箱には28種の”カミキリ虫”が収められている。「シロスジカミキリ」は、胴長が5センチあり、日本の”カミキリ虫”最大型種である。南アメリカや東南アジアの熱帯・亜熱帯地区では、胴長10〜15センチでもっとカラフルなものがいる。

”カミキリ虫”は害虫とは限らないが、「ゴマダラカミキリ」などは生木をかじる厄介者で、8年ほど前(?)にフランスへ輸出した盆栽に卵が発見され大問題になったことがある。

 樹木の表皮をかじる(フトカミキリ)、花の蜜に集まる(ハナカミキリ)、朽木に巣くう(サビカミキリ)、羽根の文様が虎に似ているトラカミキリ)、触角が胴体の3倍半もある(ヒゲナガカミキリ)、4枚羽根の外羽根が半分しかない(コバネカミキリ)、などなど”カミキリ虫”の種類は実に多彩である。

動作は鈍いが、いずれの種類も空中を飛ぶ。ゴキブリに似た7頭は、触角がノコギリの刃に似ているので「ノコギリカミキリ」といい、ゴキブリのように体がフニャフニャでない。

 標本は1頭残らず採集日、採集場所(もちろん山科)、採集者のイニシアル(筆者・KW))の手書きのラベルがつけてある。整肢作業をし(脱脂綿の上で形を整え4〜6日乾燥させる。

小型種は台紙の上でピンセットや針で整肢し糊付け)、そしてこのラベル作成も面倒な作業であるが、標本箱におさまった姿をみると感慨ひとしおなのである。余人にはわからんでしょうな〜。

 家内をはじめ周辺に虫嫌いが多く、これまで他人への披露を控え一人眺めてほくそえんでいたが、「そうだ本誌、"百家争鳴"の読者に読んでもらおう!」と思いついた次第。虫嫌いの人、ごめんなさい。(完)

2015年02月02日

◆日本語をなぜ“片仮名文字”にする

渡邊 好造



わが国には漢字という折角の表意文字があるのに、いつのまにか聞いたこともない英語、仏語などをもとにした片仮名文字に変えてしまう。

それで、意味不明にしたり、都合のよい解釈をする。いかにも目新しく、恰好よく見せかけているだけではないか。ちょっと拾ってみるだけでも腹がたつ。

 [片仮名文字=日本語なら⇒本当の裏の意味]

1)カジノ=博打場、とばく場⇒堂々とてら銭をとる公共の超法規的賭場施   設。もうすぐ日本にも。

2) シェフ=優秀調理士⇒板前、板長、料理人、包丁頭なら目の前で調理して くれる。シェフは命令するだけ。

3)タレント=芸人⇒ただのお笑い芸人なのになんでも完全にこなす能力が ありそうで、照れず厚かましい。

4)コンシェルジェ=ホテルの接客責任者⇒客がどんな悪辣なことを言った  り、したりしても我慢できる接客係。

5)ファイナンス=金貸し⇒利息も安く、簡単に貸してくれ、取立ても厳しく ない善意の金融業者。

6)コンプライアンス=規定・法律を遵守した行動⇒規定・法律の抜け道をど  こに見つけるかが秘訣。

7) マニフェスト=公約⇒公に約束はするが、後で訂正自由。最近の貼り薬”膏薬”は剥れないのに。

8)アジェンダ=政策課題⇒期限がなく実行希望の政策。後で間違いなく"唖  然とする"。


9)タトウ-=刺青⇒やくざのいれる全身のモンモンとは違い、体の一部に化  粧するような軽い感覚。

10)エッセイ=随筆⇒タレントが「エッセイ書きました」は、起承転結のな い日記、手紙、メモなどの駄文が多い。


11)コラボレ-シヨン=協同競演作業⇒過去の栄光をひきずる者同士の再生 競演策。

12)レシピ=調理法⇒美味そうに感じさせる秘密の調理法。美味くない時の  表現”この味は玄人好みですね”

13)パフォ-マンス=表現、才能、処理能力⇒派手な言動、ごまかし、でた らめ演技。

14)リベンジ=雪辱する⇒仇討ち、復讐、返り討ち、闇討ち、暗殺。

15)ホ-ムレス=住む家のない哀れな人⇒道路や公園を不法に占拠する同情   の余地のない浮浪者、乞食。

16)バッシング=たたく、攻撃⇒高収入、好待遇に見合う行動、成果をあげ  ないとやっかみで眼の敵にされる。

17)パテシエ=製菓技術者⇒砂糖とクリ-ムをたっぷり使い、高血圧や糖尿病  を忘れさせてくれる菓子職人。

18)ボランテイア=時間と能力の無償提供奉仕⇒作業量に見合った経費のい  らない、善意に期待した労働。

19)アドバイサ-=助言者⇒野球賭博や脱税など楽して儲かることを教えてく  れる人。

20)バックパッカ-=リュックサックを背負う旅人⇒金のない貧乏のふりを  して、安上がりの旅行をする人。


21)リーズナブル=価格が手ごろなさま⇒品質が良く、より安いのを手ごろ  というが、、。つい騙されやすい価格。

22)キャンペーン=企業・団体の目的をもった宣伝活動⇒消費者のためとみ  せかけて、自社の販売拡大が狙い。

23)アウトソ-シング=外部発注⇒下請け会社に無理やり安く発注し、資金  が少なくてすむ経営方法。

24)アシスタント=助手⇒安い給料で便利にこき使える我慢強い見習い人  で、「今にみておれ」と歯噛みしている。

25)エコカ-=燃料節約車⇒燃費が安いといわれる高級車で、税金で補填して  くれるのでよく売れる車。

26)コメンテ-タ-=解説者⇒聞かれたことの3倍以上にしゃべりまくること  の出来る人。「、、そうすね」は失格。

27)カリスマ=教祖⇒一見すると能力ある風で、他人と違うことをする目立  ちたがりの超変人。

28)コンテンツ=内容物、中味⇒内容のない、中味のないものでもなんとな  く見たくさせる。

29)セレブリテイ=話題の人 、有名人⇒親の莫大な遺産を相続しただけ   で、実力があるとは限らない。

30)モラトリアム=(融資金返済)一時停止⇒単なる一時停止なのに、「も  う取らぬ」と全額返済不要と錯覚させる。


ハングル文字に統一した韓国では、漢字の自分の名前が読めない人が現れたという。中国の物まね商品、商標権侵害を非難したら「日本は漢字を盗んだ」と開き直った。その大事な漢字を略字にしてしまう中国は変な国だ。

片仮名文字はこれからも増え続ける。以上、日本語で”ボヤキ”。(完)

2014年11月06日

◆「和歌に登場する京都山科」

渡邊 好造



百人一首など平安、鎌倉時代の和歌集に登場する山科の代表地は、「これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」と、蝉丸が詠んだ"逢坂の関"である。

清少納言や藤原定方ら有名歌人もこの地を取上げているのは以前に紹介した。行政的には隣の滋賀県大津市になるが、現地に立ちその地形をみれば山科エリアだと十分頷けるはず。

今回はそのすぐ隣りの"音羽山"など、和歌に詠まれた古都京都の奥座敷、山科の優雅な雰囲気を感じとっていただきたい。
 
音羽山は高さ593メートル、逢坂の関の南西、山科四ノ宮の南東に位置し、山科盆地を囲む山の一角にある。音羽山が登場する和歌として有名なのは次の2首。

紀貫之(平安時代の歌人・土佐日記の作者・原典は古今集)= 「秋風の吹きにし日より音羽山 峰のこずえも色づきにけり」。貫之の従兄弟にあたる紀友則(歌人・古今集)= 「音羽山けさ越えくれば時鳥 梢はるかに今ぞ鳴くなる」。逢坂の関と音羽山の両方を詠んだ和歌も多い。

代表例をあげると、

・源実朝(鎌倉幕府3代将軍・金槐集)=「逢坂の関やもいづら山科の 音羽の滝の音にききつつ」。

・後鳥羽院(鎌倉時代第82代天皇・原典不明)=「逢坂の関の行き来に色変わる 音羽の山のもみぢ葉」。

・源俊頼(平安時代歌人・金華和歌集)=「音羽山もみぢ散るらし 逢坂の関の小川に錦織りかく」。

・慈円(慈鎮・鎌倉時代天台宗の僧・原典不明)=「音羽山卯の花垣に遅桜 春を夏とや逢坂の関」。

・在原元方(平安時代歌人・古今集)=「音羽山音にききつつ 逢坂の関のこなたに年をふるかな」。

この他、当時の和歌集には小野、花山(かざん)、栗栖野、日の岡といった山科の地名が、いくつも登場する。

・藤原権中納言長方(平安時代公家、歌人・続古今集)=「見渡せば若菜摘むべくなりにけり 栗栖の小野の萩の焼原」。

・後鳥羽院(平安・鎌倉時代の天皇・夫木和歌抄)=「秋はけふくるすの小野のまくずはら まだ朝つゆの色ぞにほひぬ」。

・藤原定家(鎌倉時代公家、歌人・定家の歌集拾遺愚草)=「花山の跡を尋ぬる雪の いろに年ふる道の光をぞみる」。

・土御門院(鎌倉時代の天皇、後鳥羽天皇の皇子・続古今集)=「はし鷹のすすしの原 狩りくれて 入り日ノ岡にききす鳴なり」。

和歌に登場する1千年程前の山科の眺望は想像し難いが、現在の山科の絶景は、と問われたなら、筆者は次の3つを挙げる。

@東山ドライブウエー将軍塚辺りから見下ろす京都中心部の眺望(京都タワーは目障りだが、、)。
A山科疎水道からの山科の展望。
B音羽山から眺める東山連峰に沈む夕陽。

夕陽については、朝陽のような眩しさや暑さを感じさせないので、じいっと見つめるうち、両手を合せてつい願い事を呟きたくなる。

平安・鎌倉時代の歌人達が眺めた山科の夕陽は、三方を山に囲まれた盆地にあって、今とはまったく異なる自然が一杯の目を見張らせる光景だったはずだが、各種の資料をひっくり返してもこの夕陽を詠んだ和歌は発見できなかった。

京都古人、宮廷人、天上人の視点は、大地、天空、山脈、天下の情勢、庶民生活などを大きく広く見渡すことよりも、恋人、愛人(不倫)、片想い(失恋)、鳥、植物など目前の夢の世界にのみ向けられているかにみえる。

こうした天上人のお気楽な暮らしぶりに対し不満がくすぶり、やがては積重なって鎌倉時代以降の武家社会へと変革していく、そうした様が和歌に窺える。(再掲)

2014年10月20日

◆「いじめ」とその報道

渡邊 好造



「いじめ」について話題が沸騰している。50〜60年前も「いじめ」はあったのだろうか。幸いにしてそんな目にあったことはないし、当時は問題になったこともない。まして自殺者がいるとは思いもしなかった。

記憶にあるのは、教師による生徒「いじめ」というべきか、小学生の時に学芸大学(今の教育大学)卒業したての新米教師に5人並べて拳で殴られたこと、中学生の時に坊主頭のもみあげの毛を摘まみ上げられたことを覚えている。

殴られたのは痛かったし、もみあげの毛を摘まれると痛い上に泣くつもりはないのに自然と涙が出てくる。何故こんなことをされたのかまったく覚えていないが、その時殴った教師は「まだ先生の教えが解らんのか!」、もみあげの毛を摘まみ上げた教師は「痛いやろ泣け泣け!」と叫んでいたのが今も耳に残っている。

体罰禁止の現在では考えられないが、当時は教師に逆らうと損だということを肝に銘じた。

今では、小学校教員室で教師が人差し指でデコを小突いたところ、その小学生はポケットに隠し持った携帯電話から教育委員会に直ちに「体罰を受けています」と訴えたそうな。

「いじめ」の根幹はこうした体罰禁止で生徒にとって怖いものなしになったこともひとつの要因ではないか。

教師は、生徒の母親など父兄には頭が上がらない。自分たちよりはるかに高学歴で、知識もあり弁もたつ者が多いせいらしい。これでは生徒は教師を怖いとも思わないし、指導に従うはずがない。

「いじめ」による自殺にはもう一つ原因があるように思う。それは”少子化”である。

昔は兄弟姉妹5人、6人というのは当たり前で、その中で食事、遊び、衣類などで競い合い、時には喧嘩もして成長していった。もちろん腕力も強くなり、精神的にも少々のことではくじけることはなかった。それが現在ではどの家庭も1〜2人の子供が競い合うこともなく独立した部屋を与えられ、家族が顔を合わせるのは食事の時だけ。

ところが学校ではちょっとしたことで弱みを見せると徹底して攻められる。少子化のため反抗の術を会得していない子は落ち込んでしまい、「いじめ」から自殺にまで追い込まれているのではないか。

「いじめ」は昨年1年間で7万件とか。隠れ「いじめ」はもっと多いだろう。「いじめ」とは何なのかもいまひとつよく分らない。

さらに年少者の犯罪報道のあり方である。

例えば滋賀県大津市の「いじめ」について、新聞では”大津市立中学生”とあるが、週刊誌では”大津市立「皇子山」中学生”とはっきり書かれている 。なぜこうも違いが出るのか。

インターネットでは中学名どころか、自殺した生徒名はもちろんのこと加害者3名の氏名、住所、電話番号、両親の氏名・勤務先、それぞれ顔写真まで掲載されている。

堪らず加害者の家族は京都市内に移転し、転校したら、その住所・電話番号、学校名がまた出ている。とことん追い掛け回す変な奴がいるものだ。

何が真実か分らない要領を得ない説明しかしない学校、教育委員会、それにPTAの会長でもある加害者の母親が、保護者会で「うちの子を加害者扱いして自殺でもしたらどうしてくれるのですか」と叫んでいたのがテレビ放映されていた。

いったいどうなっているのか。教育関係者は「いじめ」をなんとかなかったことにしたい、加害者側には「いじめ」の意識がない。

報道のあり方に問題はないだろうか。綿密な検証もせず、被害者は”善”、加害者は”悪”といった一方的な言い分だけを聞かされているような気がする。(完)

2014年10月06日

◆「門跡(もんせき)寺院」

渡邊 好造



日本全国の寺院数は約18万3千、「日本寺院総監」に掲載されているのは7万6千というが、皇族や摂家などのいわゆる高格式者の出家の対象となる『門跡(もんぜき)寺院』は、京都を中心に全部で30余りしかない。


第59代宇多天皇が、寛平10年(平安時代・898年)法皇となり、京都(右京区)の”仁和寺(にんなじ=真言宗)”にこもり、「御室(おむろ)門跡」と称したのが”門跡寺院”の始まりである。


鎌倉時代に入って、皇族や摂家が特定の寺院に出家することが定着し、室町時代には寺格としての門跡が確立され、これらの政務を担当する門跡奉行も設けられた。


その後、 江戸幕府は出家者の位階により @宮(みや)門跡、A摂家(せっけ)門跡、B清華(せいが)門跡、C公方(くぼう)門跡、D准(じゅん)門跡の5つの門跡寺院を制度化した。


最上位の「宮門跡」は、親王(皇族)、法親王(親王の宣下をえた僧)の出家者を対象としたもので、13寺院あるうち”輪王寺(りんのうじ=天台宗=茨城県日光市)”、”園満院(えんまんいん=天台宗=滋賀県大津市)”以外は全て宮家の中心であった京都市内にある。


序でながら、”園満院”については、平成21年(2009年)5月に重要文化財の建物9棟、庭園・土地1万4千平米が寺院の借金返済のために競売となり、約10億円余りで滋賀県甲賀市の宗教法人に落札され、同年8月所有権移転が成立するという所管の文化庁もビックリの異例の事態となった。


ただし、建物以外の文化財は第2次大戦後に京都、奈良、九州などの国立博物館所蔵となっていたため無事である。


「摂家門跡」は、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家とその子弟が、「清華門跡」は、久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院(かさんのいん)、大炊御門(おおいのみかど)、今出川、醍醐、広幡(ひろはた)などの公家、「公方門跡」は武家、「准門跡」は"脇門跡"ともいわれ、特別に認められたその他の高格式者がそれぞれ対象となる。


さて注目したいのは、京都市内11の「宮門跡寺院」のうち3つが、筆者が済むここ「山科」にあることで、”勧修寺(かじゅうじ)=真言宗”、”毘沙門堂(びしゃもんどう)=天台宗”、そして”青蓮院・大日堂(だいにちどう)=天台宗=東山区の青蓮院の飛び地庭園”がそれである。


その他の門跡寺院も含めると、”安祥寺(あんしょうじ)=真言宗”、”随心院(ずいしんいん)=真言宗”が加わり、この5寺院については以前本誌で詳しく紹介したが、改めて概略にふれておく。


”勧修寺”は、「山科門跡」ともいい、水戸光圀寄進の勧修寺型燈篭、境内の"氷池園"という名の平安時代・池泉園で知られる。”毘沙門堂”は、狩野益信筆の書院の襖絵116面が有名。”青蓮院・大日堂”は、将軍塚といわれる展望台からの京都中心部と山科の眺望が素晴らしい。


”安祥寺”は、広大な領地を誇り上寺と下寺をもつ寺院であるが、現在院内への入場は残念ながらできない。”随心院”は、平安時代36歌仙の一人"小野小町"一族所縁の邸宅跡に創建された寺院で、境内は国史跡である。


筆者の住む「山科」は、『門跡寺院』の存在でみても、歴史と伝統を引き継ぐ由緒ある京都の一角なのである。 (完)

2014年09月02日

◆“カチンと来る言い方をする奴”

渡邊 好造


約40年間のサラリーマン時代を振り返ると、研修や会議などの顧問やアドバイザ-として招請した大学の先生、コンサルタント会社の講師、そして上司や同僚で上から目線の”カチンとくる言い方をする奴”がいて腹立たしい思いをしたことが何回もあった

この稿執筆にあたっては、"新 将命(あたらしまさみ/現・国際ビジネスブレイン社長)"氏が20数年前に雑誌「ボイス」に掲載した「イヤミなタイプ」の痛快な文章を思い出した。

そこで同氏が挙げた4つの(?)「イヤミなタイプ」に付加え、表題のように言換えて羅列すると、、、。(*印は、原文がなく、筆者の記憶にある新氏の指摘)。

1)「質問の意味が不明だ。もう一度分かるように説明してくれ」(質問に質問で返し、その間に答えを考える奴)

2)「いい質問です。今の質問はこれまでのなかで一番素晴らしい」(何様の積もりか、一番偉いと思っている奴*)

3)「それは、こう言換えたらよく分るんじゃないかな」(勝手に言換える奴)


4)「どっかで聞いたような話だな。まあいいや進めてくれ」(話の腰を折る奴)

5)「そんなところで結論となりそうだが、私の視点はまったく違うな」(まとまりかけているのに振出しに戻す奴*)

6)「だからさっきから言ってるだろ。同じことを何回も言わすなよ」(説明の仕方が悪いことに気付かない奴)


7)「こんな言い方したら怒るかもしれないけど、、」(と言いながらわざと怒らせる言い方をする奴)

8)「言い分はよく分った。要するにこういうことか。」(勝手に要約する奴)

9)「これまで出た意見を整理してみると、こういうことになるな、、」(自分の意見を言わずまとめ役だけをする奴)


10)「うっかり寝てしまいそうになったが、こんなふうに考えたらどうだ、、。」(寝たふりしていていきなり喋りだす奴)

11)「どうしてそんなに国際感覚に乏しいんだ。それに語学力もない」(自分だけが別格の選民と思っている奴*)

12)「この意見には最近お会いした著名な○○さんも賛成してくれたが、、」(著名人の威光にすがる奴*)


13)「議論するならあらかじめもっと勉強してこいよ」(知ったかぶりをする奴)

14)「自分が何を言おうとしているのか分っているのか」(見解の違いを押さえつける奴)

15)「よくそんないい加減なことばかり言ってられるな」(いい加減と勝手に決めつける奴)


16)「真面目に議論したらそんな結論になる筈がない」(初めから結論を用意し押付ける奴)

17)「それで相手が納得すると思うか、よく考えろ」(自分の意見と違えば納得しない奴)

18)「またその話か、何回も同じ話を繰り返すなよ」(初めて聞く人もいると思わない奴)


19)「活発に議論しているようにみえるが、的外れもいいとこだ。」(何か文句をつけようと待っている奴)

20)「意見はいろいろだったな。よくわかった。今日はこれまで」(なにも発言せずあとで自説として引用する奴)


補足すると、「”カチンとくる言い方をする奴”は、あんた自身じゃなかったのか?」。(「反省してま〜す」、「チツ、うるせ〜な」)
<完>


2014年08月11日

◆日本語をなぜ“片仮名文字”にする

渡邊 好造


わが国には漢字という折角の表意文字があるのに、いつのまにか聞いたこともない英語、仏語などをもとにした片仮名文字に変えてしまう。

それで、意味不明にしたり、都合のよい解釈をする。いかにも目新しく、恰好よく見せかけているだけではないか。ちょっと拾ってみるだけでも腹がたつ。

◆ [片仮名文字=日本語なら⇒本当の裏の意味]

1)カジノ=博打場、とばく場⇒堂々とてら銭をとる公共の超法規的賭場施設。もうすぐ日本にも。

2) シェフ=優秀調理士⇒板前、板長、料理人、包丁頭なら目の前で調理してくれる。シェフは命令するだけ。

3)タレント=芸人⇒ただのお笑い芸人なのになんでも完全にこなす能力がありそうで、照れず厚かましい。

4)コンシェルジェ=ホテルの接客責任者⇒客がどんな悪辣なことを言ったり、したりしても我慢できる接客係。

5)ファイナンス=金貸し⇒利息も安く、簡単に貸してくれ、取立ても厳しくない善意の金融業者。

6)コンプライアンス=規定・法律を遵守した行動⇒規定・法律の抜け道をどこに見つけるかが秘訣。

7) マニフェスト=公約⇒公に約束はするが、後で訂正自由。最近の貼り薬”膏薬”は剥れないのに。

8)アジェンダ=政策課題⇒期限がなく実行希望の政策。後で間違いなく"唖然とする"。

9)タトウ-=刺青⇒やくざのいれる全身のモンモンとは違い、体の一部に化粧するような軽い感覚。

10)エッセイ=随筆⇒タレントが「エッセイ書きました」は、起承転結のない日記、手紙、メモなどの駄文が多い。

11)コラボレ-シヨン=協同競演作業⇒過去の栄光をひきずる者同士の再生競演策。

12)レシピ=調理法⇒美味そうに感じさせる秘密の調理法。美味くない時の表現”この味は玄人好みですね”

13)パフォ-マンス=表現、才能、処理能力⇒派手な言動、ごまかし、でたらめ演技。

14)リベンジ=雪辱する⇒仇討ち、復讐、返り討ち、闇討ち、暗殺。

15)ホ-ムレス=住む家のない哀れな人⇒道路や公園を不法に占拠する同情の余地のない浮浪者、乞食。

16)バッシング=たたく、攻撃⇒高収入、好待遇に見合う行動、成果をあげないとやっかみで眼の敵にされる。

17)パテシエ=製菓技術者⇒砂糖とクリ-ムをたっぷり使い、高血圧や糖尿病を忘れさせてくれる菓子職人。

18)ボランテイア=時間と能力の無償提供奉仕⇒作業量に見合った経費のいらない、善意に期待した労働。

19)アドバイサ-=助言者⇒野球賭博や脱税など楽して儲かることを教えてくれる人。

20)バックパッカ-=リュックサックを背負う旅人⇒金のない貧乏のふりをして、安上がりの旅行をする人。

21)リーズナブル=価格が手ごろなさま⇒品質が良く、より安いのを手ごろというが、、。つい騙されやすい価格。

22)キャンペーン=企業・団体の目的をもった宣伝活動⇒消費者のためとみせかけて、自社の販売拡大が狙い。

23)アウトソ-シング=外部発注⇒下請け会社に無理やり安く発注し、資金が少なくてすむ経営方法。

24)アシスタント=助手⇒安い給料で便利にこき使える我慢強い見習い人で、「今にみておれ」と歯噛みしている。

25)エコカ-=燃料節約車⇒燃費が安いといわれる高級車で、税金で補填してくれるのでよく売れる車。

26)コメンテ-タ-=解説者⇒聞かれたことの3倍以上にしゃべりまくることの出来る人。「、、そうすね」は失格。

27)カリスマ=教祖⇒一見すると能力ある風で、他人と違うことをする目立ちたがりの超変人。

28)コンテンツ=内容物、中味⇒内容のない、中味のないものでもなんとなく見たくさせる。

29)セレブリテイ=話題の人 、有名人⇒親の莫大な遺産を相続しただけで、実力があるとは限らない。

30)モラトリアム=(融資金返済)一時停止⇒単なる一時停止なのに、「もう取らぬ」と全額返済不要と錯覚させる。

ハングル文字に統一した韓国では、漢字の自分の名前が読めない人が現れたという。中国の物まね商品、商標権侵害を非難したら「日本は漢字を盗んだ」と開き直った。その大事な漢字を略字にしてしまう中国は変な国だ。

片仮名文字はこれからも増え続ける。

以上、日本語で”ボヤキ”。(完)

2014年06月26日

◆世界遺産になれない京都

渡邊 好造


住いが京都だと言うと、『いいですね〜。観光名所で世界遺産ですよね』と羨ましがられることがある。京都は確かにいい町だし、風情の良く似た「小京都」に指定された都市が日本全国に52もある。しかし、京都が世界遺産というのは間違いである。

京都の世界遺産は17か所あるが、京都の府内・市内はそこらの雑然とした当たり前の都市と変わることはない。

世界遺産は、”古都京都の文化財”の名称で平成6(1994)年に認定された古来の個々の建築物なのである。( )内は所在地。

1・上加茂神社(北区) 2・鹿苑寺=金閣(北区) 3・下鴨神社(左京区) 4・慈照寺=銀閣(左京区) 5・竜安寺(左京区) 6・延暦寺(左京区、大津市) 7・二条城(中京区) 8・清水寺(東山区) 9・西本願寺(下京区) 10・東寺(南区) 11・天龍寺(右京区) 12・仁和寺(右京区) 13・高山寺(右京区)14・西芳寺=苔寺(西京区)15・醍醐寺(宇治市) 16・平等院(宇治市) 17・宇治上神社(宇治市)

このように、京都の世界遺産はいずれも建築物であって京都全体のいわゆる都市が対象なのではない。

世界都市遺産に指定されているヨーロッパの例などをみると、町全体の建物の形、高さ、色などが全て統一され、電柱・電線・広告看板など全くなく、見渡す限り見事に整然としている。そこに人が住んでいるのに見た目は生活臭もない。

それに比べて、京都には歴史的に由緒があり見ごたえのある建物はいくつもあるが、その周りは電柱が林立し、電線が張り巡らされ、建物は高さも色も見事に不揃いである。おまけに、大小色とりどりの広告看板が所狭しと並んでいる。これでは世界都市遺産に指定されることはありえない。

それでも東山連峰など山の上から京都を俯瞰すればほっとさせられる景観だし、世界遺産に指定された17の建築物は一見の価値は十分である。

許せないのは昭和34(1959)年に建設された”京都タワー”である。それまでは、「東寺の五重塔」の54.8メートルを高さ制限とするのが不文律であった。

当時の京都市の人口131万人にあわせ、京都を照らす灯台をイメージした、高さ131メートルのタワー建設の計画が持ち上がる。当然のことながら景観を損ねるとする反対派と、近代建築で新たな観光客を呼び寄せようとの魂胆に利権もからんだ賛成派とが対立した。

しかし、土台の9階建てビルは31メートルの建築物だが、その上のコンクリート製100メートルのタワーは工作物だとの詭弁を弄して完成させてしまった。

JR京都駅北側に降り立った人は目の前の古都京都には相応しくない白い異様なタワーに驚かされる。

フランス・パリには”エッフェル塔”があるじゃないかという人もいるが、1889(明治22)年のパリ万博にあわせて高くて堅牢な鉄鋼のPRを目的にしたものである。

昭和30年以降になって目新しくもないコンクリートを自慢しても価値はない。日本最初のコンクリート製の橋が明治時代に造られ、京都・山科疏水に現存している。

平成19(2007)年に新たな厳しい京都市新景観条例を制定し、建物の高さ31メートル、世界遺産周辺は10メートルに制限し、建物のデザイン、広告看板の規制も厳しくした。

将来は電柱・電線を地下に埋める計画もある、とのこと。そんな夢のようなことは誰も信じない。”京都タワー”を今更倒すはずもない。

時すでに遅しで、京都が世界都市遺産に推挙されることはありえない。NHKテレビ「京都ニュース」のエンデイングの夜景のバックに、ライトアップされた不気味に聳える”京都タワー”を視る度に腹立たしい思いがする。 (完)

2014年01月07日

◆「生きる」よりも「活きる」を選ぶ

渡邊 好造


新聞の有名人の死亡記事をみると、死因とともについ目をひくのはその年齢である。わが身に比べて長生きされたかどうか気になるのは、筆者だけだろうか。

最近、死を迎えるのは80%以上が病院だそうだ。今では昔のように自宅であらゆる手を尽くした後残念な結果になることはまずないといってよい。それも数年前までは、患者が例え意識を失い眠った状態でも血管から点滴で栄養分を送り、かなりの期間生きながらえることができた。

しかし、これにも限界があり血管が詰まったり、どうしても栄養分が足りなくなりいつまでも生きながらえるという訳にはいかなかった。

そこに今度は「胃ろう(胃瘻)」という新しい治療法が開発された。この治療法は、小説家・渡辺淳一氏の週刊誌連載エッセイでも取上げておられたが、意識のなくなった患者の胃に栄養分タップリの流動食を直接送り込む。

したがって、意識はなくとも患者は延々と長生きできることになる。筆者かかりつけの内科医によると、「やってみますか」と勧める病院も増えているという。

点滴だったら精々3〜4年が限界だったのが、それ以上に症状が変らないまま長生きできるらしい。医学上目覚ましい進歩には違いない。患者の家族にとって大喜びのこともあろうが、当然のことだが治療費は計り知れない。

かといって途中で「胃ろう」を打ち切ってくれとは言えない。それを言うと”もう殺してくれ”となり、殺人罪に問われかねない。これではもはや”生き”ているだけで、”活き”ているのでは決してない。

筆者は「生きる」よりも「活きる」方を選びたい。

そこでこんな迷惑な結果にならないよう次のような遺言書を残すことにした。もちろん異論があることは覚悟の上だし、本人死後のことだから守られなくともやむを得ない。

1) 病気・事故などにより脳死状態、認知症などで通常の判断ができない、その他回復不能の病気にかかった場合、余分な延命処置、治療は一切不要のこと。とくに「胃ろう」だけは絶対ご免である。
2) 死体処理は、法律上必要なことのみに限る。
3) 寺、僧侶に関わる費用は使わない。葬儀、読経、戒名、祭壇など不要。焼場直行の直葬も可。(戒名がないと「三途の川」を渡れないと真剣にいう人がいた、、)

念のために申し添えるが、金が惜しくて言うのではない。死者も含めて既に死んだも同然の人に金を使うべきではなく、金は”活きている人”にこそ使うべきなのである。(再掲)

<主宰者より:渡邊好造氏は体調を壊されて、寄稿も出来ない状況だと伺っていますが、どうか、今年は健康してお過ごしになり、寄稿が出来るように丈夫になって頂くよう心から祈念致します・(2014.01.08)>


2013年01月13日

◆絶滅危惧種の動物

渡邊 好造


胃の調子が悪く、かかりつけの内科医の紹介で近くの京都・山科区の病院に行った。

まず検査前の問診のため診察室に入り、目の前のパソコンの画面をふと見ると写っているのは、患者のデータではなく数種類の昆虫である。甲虫類が中心で「先生、昆虫採集が趣味ですか?」と、筆者も小学生時代からの虫マニアなので思わず話しかけた。

先生はえらいところを見られたという顔をしながら画面を消そうとするので、「ここに写っている虫の名前はほとんど知っています。山科疏水道にいる種類もいますね。全部見せて下さい、、」といったことから、診察は後回しでひとしきり昆虫談義になった。

最近の医者は患者よりもパソコンの画面ばかり見ているので、初めての先生の顔はまず覚えていないがこの時ばかりは違った。医者にも昆虫マニアは結構多い、とのこと、、。

先生曰く『山科には桜並木が多いからタマムシが一杯いただろう、、、。それにしても昔に比べると虫の種類がどんどん減っていくのは残念なことだ。環境変化は昆虫だけでなくあらゆる動物に悪影響をもたらしている』、などと話はしばらくはずんだ。

肝心の診察結果は軽い胃潰瘍で大したことはなかった。

筆者の専門分野だったカミキリムシは、日本全国に6百種ほどいたらしいが、今では百種も残っていないのではないか。トンボも見なくなった。辺りが薄暗くなると餌の蚊を狙って空に群がっていた。その蚊が少なくなればトンボも減る。

住宅地の周りにいたイタチ、こうもり、ガマ蛙(イボ蛙)なども見なくなった。

日本人大好物の鰻まで絶滅危惧種になりかけている。大阪南部の大和川には鰻の子”シラスウナギ”が砂を掘るとウジャウジャ泳いでいたが、日本一の汚染川になり魚どころではなくなった。

河川の汚染は生活排水の垂れ流しが最大要因だが、なかでも合成洗剤の泡の影響が大きい。河川に溢れかえる泡を見て、いち早くその害に気付いた京都のメーカーが泡なし洗剤を製品化しようとしたが、汚れが落ちない気がするという消費者の調査結果から数年後まで製品化しなかった。

最近は河川の浄化が進んではいるがまだまだ元には戻らない。
ツキノワグマが民家近くへ出没し、人が襲われ殺されたり大けがをさせられるなどの被害も環境変化によるものだ。餌となるドングリが木々の伐採で少なくなり人家に下りてくるらしい。

結果は、山に戻されることなく殆んど射殺されている。最近、熊の被害が無いのは寒くなって冬眠しているだけのこと。同じことがまた繰り返されるに違いない。

人間は勝手なもので、数が減ってくると絶滅危惧種の動物に指定してあわてて保護策をとり始める。ツキノワグマも今のように殺していたら絶滅寸前になるに違いない。歌手・宇多田ひかるは大の熊好きで同じことを言っていたらしい。

コウノトリやトキなどを懸命に保護し絶滅を防ごうとしているが、もはや遅すぎて無駄なことに金を使っている気がしてならない。どんな動物でも個体数が2百以下になると絶滅は避けられないという。

近親交配で抵抗力がなくなり病気になりやすく子孫が増えない。保護するならまだ間に合う動物が一杯いるはずだ。

我が国の動物園では、ジャイアントパンダ一頭の年間借用料として中国に8千万円とか1億円を払っているらしいが、その金を日本の動物保護と環境保護にまわせばいいのに、、。パンダならレッサーパンダでも十分可愛いし、世界中にはもっと安くて珍しい動物は一杯いるではないか。

なお、筆者がこの10年ほどで採集した山科疏水道の昆虫は、昔のように捕虫網で追い掛け回したのではなく、鳥や蟻に食い尽くされる寸前の死骸ばかりである。(完)

2012年12月23日

◆創業時は行列のできた貸金業界

渡邊 好造
 

小口貸金業界、いわゆるサラ金業界は銀行に母屋を乗っ取られかっての隆盛はない。まるで悪魔の業種のように思っている人もいるだろうが、創業当時は現在重宝されている携帯電話に匹敵する位の歓迎ぶりだった。

昭和39(1964)年頃のスタート時、出資法の上限金利・年109.5%(日歩30銭))の高率だった。日歩30銭とは、100円借りると1日の利息が30銭、仮に1万円を1年間借りたままにしておくと元利合計2万950円になる。利息制限法の上限金利20%(日歩約5.5銭)には違反するが罰則はなかった。

こんな超高金利なのに創業時は利用者が行列をつくった。新聞・週刊誌で便利で画期的な業種と持て囃され、テレビで支払金額表が紹介されたこともある。業界の宣伝文句は”1万円を借りて利息は煙草1箱の1日30円”。

大繁盛の秘密は銀行など従来の金融機関が目を向けなかった個人(特にサラリーマン)を対象に小口貸付を始めたことにある。

唯一頼りになるのは質屋ぐらい。銀行に借入れを申込むと担保・保証人・印鑑証明を要求されたが、この業界はそれに代わる無形の返済能力基準を設定して急成長した。借金の後ろめたさもその一つ。

主なターゲットにしたサラリーマンに印鑑証明を求めても「なんだそれ、、」「そんな面倒な、、」との答えが返ってくる。その頃印鑑登録している人はごく限られていて、すぐに証明のとれるのは既に借金漬けの可能性があるとみて貸さなかった。

さらに、客が必要とする金を”現金の救急車”と称して勤務先や自宅までわざわざ配達した。客にとってのメリットはなんといってもその便利さにあり、常連客には希望する所へ現金を届ける。

ある大手広告代理店の営業部長から 「麻雀屋にいるので○○万円を届けてくれ」との電話があり、直ちに茶封筒に現金を入れ『部長、書類が出来ましたので持ってきました』として手渡す。麻雀の負けにみせた取引先担当者への裏金であった。借用書は翌日会社に出向いて受取る。

現金の配達は業者側にもメリットがあった。勤務先だと客の在籍確認ができ地位や仕事の内容・雰囲気から信用度がつかめる。まず受付嬢と親しくなること、、。

自宅配達なら、玄関の履物の整理具合で几帳面な人かどうかを見分け、当時の高級家具だった冷蔵庫・洗濯機・テレビなどがあるかどうかで生活程度を確認する。入居基準の厳しかった公社・公団住宅の居住者なら、お上の収入審査終了済みの保証付優良客とみた。そのため”団地金融”とも言われた。

当時の貸付金額は、一人精々1〜2万円の少額で、期間も1〜2か月、決して無理な貸付けはしなかった。

しかし、業者がもっとも困ったのは貸付資金で、客がいても手持ちの金が足りない。社員の給料を一時的に返却、株券で支給、水商売のオネーサンの投資、などなどあらゆる手をつくして賄った。

その人気と儲けぶりに目を付けたのが既存の金融機関の都市銀行や保険会社である。世間の目やプライドもあって自ら高利の貸付けをするわけにはいかないし、貸付け・回収のノウハウもない。

そこで、いくつもの子会社を迂回させて融資し、ついでに自社の定年退職者を役員として多数天下りさせた。

結果、資金が豊富になり低金利での貸付競争が激化した。より以上の利益を上げるため、1社一人あたりの融資金額を50〜100万円、あるいはそれ以上にまで拡大し、期間も1〜2年の長期にした。

金額・件数の情報機関をつくり多重・多額債務者を防ごうとしたが、情報が行き渡らない短時間に数社をまわる客がいたり、業者側もこれ位ならと高額融資することもあった。

そのうち借金を返すための借金をする者が出たりして家計は破綻、当然取立ても厳しくせざるを得ない。行方不明者や自殺者が出るなど大きな社会問題に発展した。

上限金利は法律でも段階的に下げられ平成12('00)年に29.2%(日歩8銭)になったが、収入に関係なく借りまくる者が後を絶たなかった。

そこで、平成22('10)年に新貸金業法が施行され、貸付上限金利20%以下、貸付金額は収入の3分の1以下に規制された。業者の儲けは大きく減り、さらなる致命傷は法規制前に貸付けた20%以上の金利分を遡って返却せよ、との最高裁の判決が下ったことである。

この計算不能の巨額の過払い金利返還請求で業界最大手の武富士は倒産、多くの業者が廃業または銀行の傘下に入った。

創業当時あれほどもてはやされ、時代の寵児として大繁盛だった貸金業界は、都市銀行・生命保険会社などの既存の大手金融会社に利用され踏みつけにされたあげくに、世論と法律の呪縛で崩壊してしまった。

今では、過払い金利返還請求で思わぬ金を得たために貸付禁止のブラックリスト入りした客、総量規制で必要金額不足の客(銀行が貸さない零細企業経営者ら)が、法律無視のヤミ金融の餌食にされ問題化し始めている。また新たな法改正が検討されている。(完)

2012年11月23日

◆息子の嫁が単行本2作目を上梓

渡邊 好造


メルマガ”百家争鳴”に筆者の原稿を時折掲載頂くようになってからもうすぐ4年になる。しかし、本誌の他の執筆者のように文筆業が本職ではなく、これまで文章を書くことはあっても、市場調査報告書作成や勤務する会社の社長・役員のゴーストライターに徹していたから、本名が出ることはまずなかった。

本名を出したのは本誌が最初で、それまで息子が筆者の文章を見たことはないはずである。反対に我が息子の作文を読んだのは、小学校の「、、、僕は天才だ、、」だけだったように記憶する。

自分で天才と称する奴に碌な奴はいない、という印象だった。それ以後多忙にかまけて文章指導などしたことはない。

その後、息子は本誌主宰・毛馬一三氏と同じ早稲田大学を卒業し、以来東京の大手出版社の雑誌編集を担当している。今では筆者の文章や仮名遣いなどの間違いを指摘してくる。これも我がDNAをいつの間にか受け継いでいるのかと思っていた。

ところが、そうではない事態が起こった。息子の1歳下の嫁・渡辺淳子が、平成21(2009)年"小説宝石(光文社)"第3回新人賞を受賞したのである。選考委員の角田光代氏、藤沢周氏をも唸らせたという。若い男女の結婚観を描いた『父と私と結婚と』である。

息子の嫁で血縁関係がないのだから、これでは筆者のDNAとは無縁だ。

単行本の1冊目はタイトル『もじゃもじゃ』が平成23(2011)年4月に発刊され、受賞作も収録された。
さらに、このほど11月に、「2冊目」の単行本・『結婚家族』が上梓された。

書評家・吉田伸子氏によると、”結婚にまつわるドラマを描いた7編からなる短編集だが、デビュー作と同じくカッコ良くない登場人物がなんとも愛おしい。個人的なイチ押しは「くされ縁」。切なさと可笑しさが絶妙、、”とのこと。酸いも甘いもしょっぱいも!結婚をめぐる七つのドラマに泣き笑い!!、とも添えられている

嫁は滋賀県生まれ、看護師として病院等の勤務が本職で、漫画家になろうと思ったこともあるらしく、イラストも描いている。実家の父は筆者と同じサラリーマンだった。

文才はDNAが関係したのではなく、"類を以って集まる"というだけのことになろうか。
是非とも「2冊目」の単行本・『結婚家族』を、ご一読のほどを。(定価1575円、光文社刊)       (完)