2010年10月10日

◆その日本語、文字は変だ

渡邊好造

何気なく使われているおかしな日本語、文字のいくつか、、。

1) 『やるしかない』 = 元社会党党首土井たか子氏風に言うと「やるっきゃない」。「え〜、こまったな〜。いったい私にどうしろと言うの、どうやっていいか手段方法はサッパリ判らない、けど何かやるしかない」が本音。回答になってない。

2) 『、、、してみたいと”思います”』 = 「さあそれでは行ってみたいと”思います”」、「それについて考えてみたいと”思います”」。放送評論家・島野功緒氏も言う(週刊新潮)、”思います”は余分である。NHKのアナウンサ-にも多い。「さあそれでは行ってみましょう」、「それについて考えてみましょう」となぜ簡潔に言わない。

3 ) 『、、じゃないですか』= 「私って神経質じゃないですか」、「私って一人っ子じゃないですか」という喋り方がうるさい、と作家・猪瀬直樹氏(読売新聞)。この言い方をするのは若い女性に多いが、朝8時テレビワイド番組の司会者・小倉智昭も連発する。、、じゃないですか、と勝手に同意を求められても困る。

4) 『まだ訴状を”見ていない”のでコメントできません』 = 当事者に訴状が届くのはそんなに遅いのか。見ていないのなら職務怠慢、”精査検討していない”だけのことではないか。これで逃切りそのあと正式のコメントは発表されないし、発表されても報道されない。

5) 『耳障り”がいい”』=耳に障るのをいいという表現はおかしい。” 耳障り”はそれだけで一つの単語である。うるさい雑音を聞いて、いい音だと言っているようなもの。目障りを「目障りがいい」と言わない。

6 ) 『 ごみ捨てる”べからず”』= 文章は口語体と文語体を混合しないのが原則。口語なら「ごみ捨”てるな”」、文語なら「ごみ捨”つべからず”」。

7) 『あの人との関係は”精”算しました』 = 別れ話など人間関係の解消、この場合は”清”算。”精”算は費用の最終的計算のことである。企業の倒産・解散で取引相手との貸借関係など残務整理が済むまでは「”清”算会社」。

8)『懐かし”の”メロデイ』= NHKにこんなタイトルの番組があった。形容詞の後に助詞はつけない。「懐かし”い”メロデイ」であって、”の”はおかしい。

9)『”成仏”しろよ』= 時代劇映画で斬り殺した相手を片手で拝み「”成仏”しろよ」という台詞。”成仏”は僧が仏になることで、我々凡人が死ねばそれは”往生”である。”成仏”するには死んだあと浄土でさらに修行がいるから無理な話。

10)『次の誕生日で”満60歳の還暦”を迎える』 = 長寿の祝い事は満年齢ではなく数え年である。前にも言ったが何度でも言う。還暦は数え年61歳。10干(甲乙、、癸)12支(子丑、、亥)の組合せは10×12=60、61回目の1月1日に元の暦に戻る。

満60歳誕生年の元日に迎える数え年61歳が還暦。古稀(70歳=満68歳誕生年の元日)、喜寿(77歳=満75歳誕生年の元日)、、などはすべて数え年。

これまで筆者も誤字、脱字、表現ミスの連発である。他人のミスを指摘する資格はないが。 (完)


2010年10月02日

◆記者会見、客の苦情への対応

渡邊好造

最近、企業などの不祥事でマスコミへの事情説明や謝罪の会見がよく目に付く。

私も広報担当として約10年間マスコミの取材、ヤクザの脅しや消費者の苦情への対応業務を経験し、最後は子会社の解散発表会見までやったので、これに携わる担当者の苦労の程は痛いほど分る。

不祥事発生に際して袋叩きに遭うし腹もたつだろうが、もう少しうまく喋る、好意的に受取られる態度をとればいいのにと感じることが、これまでの自身の反省を含めて数多い。

そこで、不祥事が発生した場合の記者会見、客の苦情などへの対応のあり方について、ガイドブックにはない「広報最前線の些細な15箇条」を記してみる。

1)インタビューを受ける際にしごく当り前のことだが、分っている事実は正直に答え、その場逃れの回答は絶対にしないこと。分らないことは分らないと言えばいいだけで、個人的な判断や意見を言わないこと、事実関係を正確に説明する。

2)目線を質問者に合せ、そしてできるだけ瞬きしない、キョロキョロよそ見しない。でないと、目が泳いでいた、落着かない様子、真剣さが足りないとなる。

3)何を質問されてもその内容に反応しないこと。不愉快でも我慢することはいうまでもなく、感情移入をせず淡々と答える。その場の記者やカメラの向こうに多くの大衆がいる。怒っても笑ってもいけない。

4)回答に窮したら黙りこまない。よく聞えなかった、意味が分らないとして「もう一度言って欲しい」と頼み、相手の質問が繰返されるその間に答えを考える。

5)インタビューで逆質問してはならない。質問者に対して「さっき答えたでしょう(小沢一郎・民主党元幹事長)」「答えなければいけませんか(武蔵川・元相撲協会理事長)」などと言うと開き直ったとなり、悪印象の事例として何回も、、。バカの見本。 

6)汗が吹き出しても絶対にハンカチ、タオルを使わないこと。「涙を拭いながらの謝罪会見」というタイトルがつくことになる。

7)両手は後ろでなく前で組まないと、態度がでかいととられる。テーブルがある場合はその上に両手を出し動かさないこと。手が動くと「落着かない様子」「手はかすかに震えていた」となる。テーブルの下でゼムクリップを繰り返し折り曲げているのをテレビカメラにキャッチされ、「イライラしていた様子」、、、。

8)頭の先からつま先まで全身に抜け目なく神経を集中させること。見えていないと思いズボンの裾を膝までたくし上げ、貧乏ゆすりしているのを映されていたことがある。テレビカメラが狙うのは前からとは限らない。

9)服装は派手でないこと。スーツ、ネクタイに気を配るのは言うまでもなく、スーツの裏地やワイシャツは単色の派手でないもの、ストライプが入っていたりすると「ヤクザっぽい服装」となる。

10)客やヤクザの脅しに「やれるものならやってみろ」は一番いけない。脅しだけで本当にやる気がないのにその気にさせる。"殺してやる"と言われた取調べ中の警官が「やれるものなら、、」と言い返して、拳銃を奪われ撃たれていた(週刊新潮)。「やって欲しくないし、あんたのなんの得になる、、」位に受け流せばいいこと。

11)「俺が怖くないか」と言ったり、未だに墨筆太文字の名刺を出す奴がいる。本当に怖がる必要はないが、「怖くない」と言ったり、強がったりしないこと。できるだけ怖い振りをして相手の要求を探る。

12)暴力を振るわれそうだとみたら、必ず二人で応対し証人をおく。相手が少しでもこっちの体に触れることがあれば、思いっきり大げさに倒れ、痛い痛いと叫ぶこと。それで暴力行為は成立、すぐに110番。

13)マスコミの会見要求や客の面会要求があれば素早く広報などの担当部長、又は役員クラスの責任者が応対する。質問を30分以内に終らせたいなら、「このあと予定がありますので20分位で、、」と初めに断り10分間延長したようにするのがいい。

14)会見、面会、電話を問わず「責任者に聞かせる」として録音する(要了解)。後で聞き直し相手の真意を探り、当方の発言に問題がなかったかチェックする。録音テ-プはすぐ取出せるよう整理して保管する。相手も記憶していることだから編集したりしてはならない。

15)記者、苦情客を問わず先方が席を立たない限りできるだけ最後まで対応する。質問を受付けない、メモを読上げるだけの会見ならやらない方がまし。

そこで一言。 記者、テレビカメラ、苦情客を前にして"余計なことを言ってはならない"、と思うと緊張して話しにくくなる。そして慣れるしかない。ただし慣れるとその後何年も担当させられるからその積りで、、。(完)

2010年10月01日

◆消費者金融業「武富士」の倒壊

渡邊好造

消費者金融業の大手「武富士」が会社更正法の適用申請をするというので、新聞テレビなどマスコミのトップニュ-スになっている。銀行借入れや社債など負債総額は判明しているだけで約4千億円に上り、今後さらに増えるらしい。

同社は、2002年3月末融資残高1兆8千億に達したこともある。今ではプロミス、アコム、アイフルについで営業収益4位であるが、かっては断然他社を引離し融資残高、収益ともにトップだった。

他社に離された最大の要因は、大手銀行系列などの傘下に入らず独立系として歩み、資金繰りに苦しんだことによるらしい。その代り資金導入先からヤイノヤイノと注文を付けられ、顔色を伺ったり、役に立たない人を押付けられたりもなかったはず。

そして、20年ほど前のようにトップ街道を常に歩んでいたことを意識さえしなければ、左団扇ではなかったか、、。それが一変したのは一連の過払い利息返還請求騒動で、これさえなければ経営内容が悪化することもまずなかった。

念のために消費者金融業界にからむ法律を整理すると、、。

融資利息は、出資法の上限が年29、2%、利息制限法が年20〜15%の2本立てで、業者は客と契約さえすれば高い方の29、2%が許されていた。これがいわゆる「グレ-ゾ-ン金利」である。

ところが、2006年に上限金利は20〜15%以下でないと違法だとの最高裁判決があり、それも客がこれまで余分に払った以前の利息、過払い利息も遡って返すべしとなった。

過払い利息が返ってくるとして喜んだのは客だけではなく、業者を相手に返還請求業務手続きを請負う弁護士、司法書士も仲間入りし、なかには法外な手数料でボロ儲けしている輩もいるらしい。最近のテレビ広告で「法律相談は○○法律事務所へ」が目立つのにすでにお気づきだろう。

ともあれ、消費者金融業者はこの過払い金返還請求に追いまくられ、そのために一体幾ら準備すればいいのか不明で中小業者は次々と廃業していった。武富士もその例外ではなく、分っている負債総額以外に未請求分も含めた過払い利息は数千億円、このままだとまだ増え続けるに違いない。

これに追いうちをかけたのは、本年6月18日施行の新貸金業法で「総量規制=貸付は年収の3分の1以下、年収証明の提出、収入のない主婦は夫の要了解、情報センターへの登録」が課せられ、残高を伸ばせないから利益があがらず、各社音を上げることになった。

筆者に言わせると、この業界がこんなに大きくなったのは間違いなのである。実業でなく虚業が大きくなり儲けすぎると袋たたきに遭うのは世の常である。

業界が注目され始めたのは1964年の東京オリンピックの前後といわれている。当時は日歩30銭(100円につき1日30銭=109、5%)という超高金利にもかかわらず利用者は店頭に列をつくり、新聞、週刊誌では庶民に手軽に金を貸す便利なところができたと賞賛された位であった。

その秘密は、銀行など他の金融機関が目を向けなかった個人への融資を始めたことで、担保、保証人や印鑑証明なしで、比較的簡単に金を借りられたことにある。しかも対象がサラリ-マンで印鑑証明をとることも知らない連中であった。印鑑証明がすぐにとれるのは逆にいうとすでに借金があるということに注目した。

従来の金融機関では考えられなかった常識破りの簡便システムである。一時、業界は「団地金融」と呼ばれたこともある。自宅が公社公団の団地であれば、最優良顧客だった。団地は収入レベルの基準が厳しく入居者はエリ-トであり、公社公団が保証人になったようなもの、、。

貸付は店頭とは限らず、会社・自宅へも配達したが、これで本人の所在確認ができた。自宅の玄関の履物が揃えてあれば几帳面な人だと分る。常連客になると麻雀荘に部下のような振りをして”会社の書類をお持ちしました”として現金入りの封筒を届け、書類作成は翌日。

客はいても、問題は資金がない。ある会社では給料と引換えに自社株を渡したというし、水商売のオネ-サンに借りたり、高金利の社内預金もあった。そのうちに大手銀行が保険会社経由で秘密融資するようになったが、代りに定年退職した役にたたないオッサンを送り込んできた。

1980年代半ばころだったか、武富士が百億円の融資残高になったと聞いて驚いた記憶がある。それがいつの間にこんなドデカイ業界になってしまったのか。


業界の任意団体「日本消費者金融協会(略称・JCFA)」の全盛時の優良加盟社は150社だったのが、この7月末で大手のみの27社にまで減ってしまって、まさに寡占状態である。
 
消費者金融業は、もともと歩道の隅にヒッソリ咲いた可愛い花だったのである。ここまで大きくなれば当然のこと歪が出てくる。業界は原点を思い出せ。(完)

 

2010年09月19日

◆京都「山科近辺の資料館・博物館-@」

          渡邊好造

京都山科とその近辺には個人や企業、あるいは公共での収集品、所蔵品を有料、無料で展示する各種の資料館・博物館がいくつもある。JR山科駅から近いところ、車または電車バスで比較的簡単に行着ける所から順に紹介しよう。1回目は山科住民にもあまり知られていない4つの私営資料館。
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1)「京都お箸の文化資料館」
JR山科駅から西へ徒歩3分、京阪電車京津線の線路沿い、山科区天徳町に”お箸”の資料館がある。平成8(1996)年11月、箸問屋経営者・井津明楽氏が”お箸に感謝をこめて収集”し、一般に公開した。

自宅の1〜2階を改造し、日本はもちろんタイやベトナムなど世界の箸と、その歴史、使い方の違いなどを解説、収集した450種のうち400種を常設展示している。
 
10名以上で電話予約すると、2代目館長・井津守進氏の解説つきで箸つくりの体験もできる。
入館無料  ・火曜休館(祝翌日) ・開館10〜16時 ・電話075−595−0919。

2)「一燈園資料館・香倉院(こうそういん)」
一燈園・財団法人懺悔奉仕光泉林は、明治38(1905)年に西田天香師が創始した奉仕集団(宗教法人ではない)で、昭和4(1929)年に山科区柳山町の現地に開設された。京阪電車京津線四宮駅から北東へ徒歩10分。

一燈園の思想は「自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金にかえないでも、許されて生かされる」というものである。多くの企業の社員が泊り込みで研修をうけているのを見かける。

”香倉院”は、その一燈園に付属する資料館で、西田天香師が接した有名人や芸術家との関連品が数多く収められている。

板画家の棟方志功、一燈園で信仰生活を送った劇作家・評論家の倉田百三、洋画家の須田剋太、陶芸家の河井寛次郎ら各氏の手紙や作品などが展示され、なかでもインド独立の父マハトマ・ガンジーが使った手紡ぎ車が逸品である。

入館料500円、中高生400円 ・開館10〜16時30分 ・日曜、祝日、第2・4土曜休館 ・電話075−581−3136。

3)「京の田舎民具資料館」
京都の田舎で江戸中期から昭和30(1955)年代中頃までに使われていた農機具や生活具2千点以上を収集し展示している。ワラの長靴、火鉢、蓄音機、ラジオ、大八車など、そういえばこんな物があったなあ〜と思わせる懐かしい品が一杯である。

山科区小山小川町にあり京阪電車京津線追分駅から南へ徒歩25分、またはJR山科駅から京阪バス小山停留所北へ徒歩10分の音羽山の麓。昭和62(1987)年12月に開設された。

入館料500円、中高生300円、小生200円 ・開館は9〜16時30分 ・月曜休館 ・電話075−581−2302。

4)「山科植物資料館(日本新薬)」
回虫駆除薬「サントニン」の元になる”ミブヨモギ”の栽培試験園として、昭和9(1934)年山科区坂の辻町に日本新薬(株)が開設した。当初「山科試験農場」としてスタートし、「山科薬用植物研究所」から現名になったのは平成6(1994)年である。

世界の薬用・有用植物約3千種が育成されている。”ミブヨモギ”記念館、ハーブの館、シダ園、大温室などの施設がある。地下鉄東西線椥辻駅東へ徒歩10分。
入館無料 ・普段一般公開されておらず、見学希望者は電話で要予約 ・電話075−581−0419。

*山科近辺の資料館・博物館は、私営を含めると数が多く紹介しきれないので、次回以降は公営かそれに準ずるものに限定する。(完)

 


2010年09月08日

◆こんな事、考えてみたら?

渡邊好造

世間で常識になっていることで、ちょっと視点を変え、こんな事は考えられないか。

1)毎年2回開催される全国高校野球大会だが、常連校がズラリと並びそれも、私立校ばかり。入学エリアの規制された公立高校は出場しても騒がれるだけで終り。本年夏出場し3戦目に敗れた滋賀県立北大津高校は例外。

 そこで、私立と公立の高校で別々の大会を開催し(公立は両方出場可)、最後は私公立の各大会優勝校でプロ野球の日本シリーズのように7試合で戦う。私公立上位各3チーム、6チームのクライマックスシリーズ式混戦対戦もいい。これなら間違って公立校が優勝することもあるし、ひょっとして公立同士の決勝戦ということも、、。
 
2)公営カジノ開設論が盛んである。東京と大阪の両知事がとくに熱心でそのための法改正の準備が進められているとか。すでに競馬、競輪、競艇など公営バクチがあり、そこにカジノが付け加わる。おかげで国は儲かり税金は多少安くなる。

しかし、これまでバクチで身を持ち崩した人間がどれだけいるか、それを考えるとカジノ開設は素直に賛成できない。

 そこで、日本人の参加できない外人専用(そんな国もある)のカジノにしてはどうか。日本人は儲かっている振りをして客を刺激する訓練されたサクラ、または接待員として起用し、販売促進と職にあぶれた人の雇用開発につなげる。

3)海外旅行、山登りなどでの事故が多発し、その遭難者は老齢者が多い。過日、救助活動のヘリコプタ-が墜落して救助隊員5名が亡くなった。その度に多額の税金が使われる。
 
海外旅行や山登りは免許制にして、年齢制限を設けたらどうか。

例えば、海外旅行には65歳以下、1千メ-トルを超える山登りには50歳以下の制限を設け、年齢制限オ-バ-の人にはそれぞれ供託金百万円位を出させ、5年毎更新の免許証を発行する。発行時や更新時には簡単な運動能力テストを行う。ル-ル違反があれば供託金没収、経費実費徴収。
 
事故なしで免許証返上なら返金すればいい。もし無免許で事故をおこすと、本人に経費全額負担と罰金(5百万円位)や懲役を科す。本人死亡の場合は家族に払わせる。

4)改正貸金業法の完全施行がこの6月18日からスタ-トした。金利20%以下、融資は年収の3分の1以下(要証明書、収入のない主婦は夫の要了解)などの規制を課し、違反した業者には罰則がある。
 
ということで借金できなくなった難民が増えつつある。もちろん多重債務者保護が目的でそれなりの効果は期待されるが、こんなことでは焼け石に水である。
 
多重債務は博打、パチンコ、おさわり、盗撮、万引きなどと同じく、通常の人間からすれば「何故あの人があんな事を、、」と考えたくなる一種の病気なのである。

これまで本誌で何度も言ったが、多重債務病は収入に関係なく借金してしまう、自己破産して債務ゼロになってもダメ、まして金利を下げたくらいでは効果はない。ヤミ金業者を喜ばすだけのこと。
 
電話相談受付なんて暢気なことでなく、「多重債務者教育病院」を設立し収容するべしである。アメリカで設立されているという多重債務者専門病院の根性たたきなおし治療プログラムを早急に研究する必要がある。

5)最近111歳の最高齢と思われていた男性が30年前に亡くなっていた。役所の人が訪問しても「本人が会いたくないと言っている」ということで確認できなかったらしい。

百歳を超えれば失礼ながら年齢など同じに見えるから、別人が名乗り出ても判別不能である。その後全国に百歳以上の行方不明者が続出し、年金の不正受給も増えている。
 
そこで百歳を超えた人、いや年金受給開始時から指紋押捺を義務づけてはどうか。本人または代理人に指定の書類に毎年指紋押捺させ、登録された本人のものかどうか照合する。指紋押捺しない人、指紋が一致しない人、個人情報保護なんてゴチャゴチャ言う人には年金ストップ、死亡宣告、住民登録抹消を通知する。
(完)

2010年08月30日

◆京都「和歌に登場する山科」

渡邊好造

百人一首など平安、鎌倉時代の和歌集に登場する山科の代表地は、「これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」と、蝉丸が詠んだ"逢坂の関"である。

清少納言や藤原定方ら有名歌人もこの地を取上げているのは以前に紹介した。行政的には隣の滋賀県大津市になるが、現地に立ちその地形をみれば山科エリアだと十分頷けるはず、、。今回はそのすぐ隣りの"音羽山"など、和歌に詠まれた古都京都の奥座敷、山科の優雅な雰囲気を感じとっていただきたい。
 
音羽山は高さ593メートル、逢坂の関の南西、山科四ノ宮の南東に位置し、山科盆地を囲む山の一角にある。音羽山が登場する和歌として有名なのは次の2首。

紀貫之(平安時代の歌人・土佐日記の作者・原典は古今集)= 「秋風の吹きにし日より音羽山 峰のこずえも色づきにけり」。貫之の従兄弟にあたる紀友則(歌人・古今集)= 「音羽山けさ越えくれば時鳥 梢はるかに今ぞ鳴くなる」。
逢坂の関と音羽山の両方を詠んだ和歌も多い。

代表例をあげると、、
・源実朝(鎌倉幕府3代将軍・金槐集)=「逢坂の関やもいづら山科の 音羽の滝の音にききつつ」。
・後鳥羽院(鎌倉時代第82代天皇・原典不明)=「逢坂の関の行き来に色変わる 音羽の山のもみぢ葉」。
・源俊頼(平安時代歌人・金華和歌集)=「音羽山もみぢ散るらし 逢坂の関の小川に錦織りかく」。
・慈円(慈鎮・鎌倉時代天台宗の僧・原典不明)=「音羽山卯の花垣に遅桜 春を夏とや逢坂の関」。
・在原元方(平安時代歌人・古今集)=「音羽山音にききつつ 逢坂の関のこなたに年をふるかな」。

この他、当時の和歌集には小野、花山(かざん)、栗栖野、日の岡といった山科の地名が、いくつも登場する。

・藤原権中納言長方(平安時代公家、歌人・続古今集)=「見渡せば若菜摘むべくなりにけり 栗栖の小野の萩の焼原」。
・後鳥羽院(平安・鎌倉時代の天皇・夫木和歌抄)=「秋はけふくるすの小野のまくずはら まだ朝つゆの色ぞにほひぬ」。
・藤原定家(鎌倉時代公家、歌人・定家の歌集拾遺愚草)=「花山の跡を尋ぬる雪の いろに年ふる道の光をぞみる」。
・土御門院(鎌倉時代の天皇、後鳥羽天皇の皇子・続古今集)=「はし鷹のすすしの原 狩りくれて 入り日ノ岡にききす鳴なり」。

和歌に登場する1千年程前の山科の眺望は想像し難いが、現在の山科の絶景はと問われたなら筆者は次の3つを挙げる。
@東山ドライブウエー将軍塚辺りから見下ろす京都中心部の眺望(京都タワーは目障りだが、、)。
A山科疎水道からの山科の展望(写真・左にJR琵琶湖線、白い土手の右下は京阪電車京津線、後方は東山連峰)。
B音羽山から眺める東山連峰に沈む夕陽。

夕陽については、朝陽のような眩しさや暑さを感じさせないのでじいっと見つめるうち、両手を合せてつい願い事を呟きたくなる。

平安・鎌倉時代の歌人達が眺めた山科の夕陽は、三方を山に囲まれた盆地にあって、今とはまったく異なる自然が一杯の目を見張らせる光景だったはずだが、各種の資料をひっくり返してもこの夕陽を詠んだ和歌は発見できなかった。

京都古人、宮廷人、天上人の視点は、大地、天空、山脈、天下の情勢、庶民生活などを大きく広く見渡すことよりも、恋人、愛人(不倫)、片想い(失恋)、鳥、植物など目前の夢の世界にのみ向けられているかにみえる。

こうした天上人のお気楽な暮らしぶりに対し不満がくすぶり、やがては積重なって鎌倉時代以降の武家社会へと変革していく、そうした様が和歌には窺える。(完)


2010年08月18日

◆何か変だ? 老人のつぶやき

渡邊好造

その話は前にも聞いた、お前こそ変だと言われるかもしれない。いかし、、。

1)ニューヨークのビルに自爆テロの飛行機が突入し5千人余りの犠牲者が出て、9.11、グラウンドゼロとか言って大騒ぎしている。この件の発生時、兵庫の女性議員だったか「ざまみろ、、」とブログで発表し非難していたが、日本人としては非難する方が変だ。

アメリカ軍による大阪大空襲の時、筆者宅3百メートル近くにまで焼夷弾が落ち、同級生の家が焼け落ちた。彼は「なんでや」と叫び涙を流していた。その後広島、長崎に原爆を落とし30万人を殺した。それに比べればたったの、、。

あの時は戦争中だったというだろうが、今も戦争は続いている。アメリカは、自国領土の大陸本国を直接攻撃され、戦闘員以外の民間人が殺される理不尽さを、9.11で少しは理解できただろう。「ざまみろ!」

2)脳死臓器提供法が改定された。臓器提供を希望する者は、腎臓、肝臓なら生体移植可能だが、心臓などは他人の死を待っているようで、、。海外で移植するとしても、その国にも移植を必要としている人がいるはずだし、、。

自前の資金でなく募金でとなると早く目標額を集めた者勝ちのようにみえる。移植の順番、必要性などは厳密に判断する患者選定のための公的機関があるのだろうが、今ひとつ不透明な気がする。金を使わないうちに移植希望患者が亡くなり、残った金をもってドロンした人もいるとか。

3)「遺憾に思います」は、本気で謝っているのだろうか。『責任は私にはない、立場上仕方ないとはいえ知らなかったのだから、、、。謝りたくない、しかしあとで責任追求されるのも困る』と考えている人の謝りかた。「遺憾に思います」は謝ったようには聞こえない。

4))相撲界が暴力団の野球賭博にからみ大揺れしている。力士の大麻服用、賭博、こんな事は政官財どこでもあることで、まして常識や勉強なんて二の次の相撲界。協会に外部理事をいれろ、近代化しろと苛めまくるが相撲協会は懸命に抵抗している。

幕内を目指す力士の現役での頂点は横綱だが、究極は引退後のために高額の年寄株(1億円以上)を買い相撲協会で生残ること。税金に多少目をつぶって貰っているとはいえ、自分達が怪我にもめげず命をかけて稼ぎ、そして注ぎ込んだ貴重な金による協会、こんな見事で大事な組織はない。その協会に手をつけ彼らの不利になるようなことをしたら力士は目標を見失い絶望するに違いない。

天下り就任する審議委員・外部理事ら、相撲界にこれまでなんの貢献も投資もせず、余生丸儲けの連中に偉そうなことを言わせたくないのは当り前のこと。

5)担保・保証人不要の低金利高額融資。東京都の石原知事が2005年に設立した「新銀行東京」のうたい文句だが、ノウハウもなく客を信用するのもいい加減にしろ、と思っていたらやはり焦げ付きだらけとか。金融に善意が通じると思っている人の勝手な施策。金融のノウハウは「返してくれる人に貸す」、回収より貸付。

6)百歳以上の長寿者4万人程おられるとか。この数字が発表されたのは1〜2年前だったが(?)、この時2万人は未確認との注釈がついていたから、不正確だと分かっていたはず。確認できないから4万人の百歳以上はその後増え続けているに違いない。住民登録がいかにいい加減かは、その登録数が5年に1回の国勢調査の数より1割がた多いことで、筆者が市場調査業務に携わることになった50年前と同じである。

7)国会議員の数と給与の削減。国会議員が自分たちの首をしめる法律など成立させる訳がない。新人議員給与日割計算も消えた。総論反対、各論反対、損することはみな反対、賛成はフリだけ。

8)死刑を執行しなかった法務大臣。死刑囚の仕分け人・法務大臣が約10カ月近く死刑を執行せずにいたら、参議院選挙で落選した。その法務大臣が大臣続投となり、百人をこす死刑囚は助かった首をさすっていたはず、、。ところがその後2名の死刑執行。今度は執行したといって袋たたき。役得の一番少ない大臣か、、。

9)朝鮮総連系の高校授業料無償化なんてとんでもない。反日教育、拉致実行者の育成、日本を敵視する独裁者崇拝教育をしている学校に日本の税金を投入するとは、我が国を崩壊させようと狙うテロリスト養成学校に金をだしているのに等しい。

朝鮮総連系学校教育を受け、北朝鮮のサッカーチームの一員としてワールドカップに出場し、国歌に涙する選手の姿をみた。日本で育ちながら北朝鮮へのこの忠誠心、その教育内容はどんなものか。 そもそも全高校を無償化するならせめて知能指数の下限を決めてからにするべし。九九が言えない高校生もいるというのに、、。

10)民意の反映、民意を優先、民意が大切というが、、。民意もことによりけりで、ゴミ焼却場や拘置所をつくる話なら別だが、国の存亡にかかかる事象に民意は関係ない。全国の県市町村の数だけ賛成反対を問うていたら国が亡びることになりかねない。

北朝鮮からミサイルが飛んできて東京が燃えあがってる場合にも「反撃しますか、どうしますか」と民意を問うのか。その時は民意でなく国の長が即座に決断しなければならない。日本のどこに防衛基地が必要かどうかも知事や市長が判断する次元の問題ではない。    (完)


2010年08月12日

◆昆虫マニアの到達点-"蛇の祟り"

渡邊好造

サッカ-ワ-ルドカップで日本中が大いに沸いた。古い話、筆者の高校時代のサッカ-は、野球、水泳、柔道、体操の人気には及ばなかった。

しかし、当時サッカ-が得意で3年前に亡くなった高校同級生Y.T君は、頭脳明晰、スポ-ツ万能、女子生徒からも憧れの的だった。大阪府大会で我が高校がサッカ-で準優勝したのは彼の功績で、コ-ナ-キックからの見事なヘデイングシュ-ト、鮮やかなドリブルをする姿は今も眼に焼きついている。

今回の稿は、何かと相談相手となってくれた亡きY.T君を偲ぶ気持ちと、シリ-ズ「昆虫標本」を読んだ友人からのこんな冷やかしメ-ルがあったことによる。「病気に縁のなかった君が最近絶好調でないのは、高校生物研究部時代の"蛇の祟り"ではないか。蛇は執念深いというからな、、」。

昆虫マニアの筆者が、高校で所属していた生物研究部はいわゆる文化系クラブである。ところが、動植物採集のための駆け足登山、小川を10メ-トルほどせき止めて水を抜き、全身泥だらけになりながら魚、亀、蛇、水棲昆虫、水草などの生物をまる一日かけて研究用に根こそぎ確保し持帰るなど、こんなことで特に1年生の新入クラブ員はしごきまくられた。

筆者もそうした一連の洗礼を受け、運動系クラブのような体質を引継いだ。

サッカ-部の知名度、人気には追いつけないにせよ、せめて文化系クラブの中で存在価値を示すにはどうすればいいか。「君の得意とする昆虫がテ-マではまったく魅力がない。なにかもっと目立つことを考えないと、、」とのY.T君からの助言もあり、動物の解剖公開を不定期だが土曜日の放課後に実施することにした。

とりあげた動物は鳩、鶏、鼠、兎、モルモットなどで、結果は解剖後の骨格標本が残っただけで、今ひとつ人気はなかった。ただ、「生物実習授業での蛙の解剖ではよく理解できなかった内臓の仕組みが一発で憶えられた」と評価してくれた者もいた。

何回目だったか蛇の解剖をテ-マにしたところ、前評判は上々。1週間前に蛇を捕え準備万端整えた。

そこで事件発生。蛇がいなくなったのである。2日後、授業中の女子生徒ばかりのクラスから校舎中に響きわたる悲鳴があがった。逃げた蛇が教室内をウロウロしていたのである。おかげで部長の筆者は大目玉をくらった。"蛇の祟り"とはこのことである。

動物の解剖はしばらく途絶えたが、ある日部員の飼っていた愛犬が死になんとか形として残してやりたい、ついては剥製にできないかとの申し出があった。剥製は無理だが骨格標本ならできるとして直ちに作業にとりかかる。

苛性ソーダで煮込んだ肉と骨を丁寧に分離し、針金と糸で1ヶ月ほどかけて骨格を組立て、ペンキ、エナメルを塗布して標本は完成。骨格の組立ては軟骨の処理が難しく、知恵の輪やパズルを解くような面倒で根気のいる作業であった。困ったのは後々まで体に染付いた肉の腐った臭いである。

蛇と犬で生物研究部の存在は知られたが気持ちの悪い部として定着し、サッカ-部の人気に追いつくどころの話ではなかった。

思わぬ名誉挽回のチャンスが巡ってきた。大阪府高等学校生物教育研究会主催、大阪府教育委員会後援の”第7回生徒生物研究発表会”に、筆者が代表して出場することになったのである。

昭和29(1954)年11月23日、場所は産経会館内アメリカ文化センタ-、発表者は各校代表23名、持ち時間7分のタイトルは”燈火に飛来する甲虫類について”。結果はなんと! 優勝である。

これが昆虫マニアとしての到達点。部員みんなとY.T君も喜んでくれた。翌日の全校生徒が集まった朝礼で校長先生から研究内容、成績紹介とお褒めの言葉があったものの、「なんだ? それがどうした、、」という軽い反応しかなかったように記憶している。

この発表会は毎年続けられ本年で62回目を迎えるというが、まず知る人はいない。亡きY.T君大活躍のサッカ-部大阪府大会準優勝については、ここ数年のサッカ-Jリ-グ人気もあって未だに同級生が集まると話題にのぼるし、学校史にも掲載されているが、、。

体力に自信はあったものの運動神経は鈍くスポ-ツはまるで駄目、昆虫にのめりこんでいたから学業成績もいまひとつで、後にも先にも一等賞を貰ったのはこれしかない。

お〜と忘れてはいけない。この4月で結婚満47年、健康優良児の我が女房殿が最高の一等賞であった。(完)


2010年08月03日

◆日本語をなぜ“片仮名文字”にする

渡邊好造

わが国には漢字という折角の表意文字があるのに、いつのまにか聞いたこともない英語、仏語などをもとにした片仮名文字に変えてしまう。

それで、意味不明にしたり、都合のよい解釈をする。いかにも目新しく、恰好よく見せかけているだけではないか。ちょっと拾ってみるだけでも腹がたつ。

 [片仮名文字=日本語なら⇒本当の裏の意味]

1)カジノ=博打場、とばく場⇒堂々とてら銭をとる公共の超法規的賭場施   設。もうすぐ日本にも。
2) シェフ=優秀調理士⇒板前、板長、料理人、包丁頭なら目の前で調理して くれる。シェフは命令するだけ。
3)タレント=芸人⇒ただのお笑い芸人なのになんでも完全にこなす能力が ありそうで、照れず厚かましい。
4)コンシェルジェ=ホテルの接客責任者⇒客がどんな悪辣なことを言った  り、したりしても我慢できる接客係。
5)ファイナンス=金貸し⇒利息も安く、簡単に貸してくれ、取立ても厳しく ない善意の金融業者。

6)コンプライアンス=規定・法律を遵守した行動⇒規定・法律の抜け道をど  こに見つけるかが秘訣。
7) マニフェスト=公約⇒公に約束はするが、後で訂正自由。最近の貼り薬”膏薬”は剥れないのに。
8)アジェンダ=政策課題⇒期限がなく実行希望の政策。後で間違いなく"唖  然とする"。
9)タトウ-=刺青⇒やくざのいれる全身のモンモンとは違い、体の一部に化  粧するような軽い感覚。
10)エッセイ=随筆⇒タレントが「エッセイ書きました」は、起承転結のな い日記、手紙、メモなどの駄文が多い。

11)コラボレ-シヨン=協同競演作業⇒過去の栄光をひきずる者同士の再生 競演策。
12)レシピ=調理法⇒美味そうに感じさせる秘密の調理法。美味くない時の  表現”この味は玄人好みですね”
13)パフォ-マンス=表現、才能、処理能力⇒派手な言動、ごまかし、でた らめ演技。
14)リベンジ=雪辱する⇒仇討ち、復讐、返り討ち、闇討ち、暗殺。
15)ホ-ムレス=住む家のない哀れな人⇒道路や公園を不法に占拠する同情   の余地のない浮浪者、乞食。

16)バッシング=たたく、攻撃⇒高収入、好待遇に見合う行動、成果をあげ  ないとやっかみで眼の敵にされる。
17)パテシエ=製菓技術者⇒砂糖とクリ-ムをたっぷり使い、高血圧や糖尿病  を忘れさせてくれる菓子職人。
18)ボランテイア=時間と能力の無償提供奉仕⇒作業量に見合った経費のい  らない、善意に期待した労働。
19)アドバイサ-=助言者⇒野球賭博や脱税など楽して儲かることを教えてく  れる人。
20)バックパッカ-=リュックサックを背負う旅人⇒金のない貧乏のふりを  して、安上がりの旅行をする人。

21)リーズナブル=価格が手ごろなさま⇒品質が良く、より安いのを手ごろ  というが、、。つい騙されやすい価格。
22)キャンペーン=企業・団体の目的をもった宣伝活動⇒消費者のためとみ  せかけて、自社の販売拡大が狙い。
23)アウトソ-シング=外部発注⇒下請け会社に無理やり安く発注し、資金  が少なくてすむ経営方法。
24)アシスタント=助手⇒安い給料で便利にこき使える我慢強い見習い人  で、「今にみておれ」と歯噛みしている。
25)エコカ-=燃料節約車⇒燃費が安いといわれる高級車で、税金で補填して  くれるのでよく売れる車。

26)コメンテ-タ-=解説者⇒聞かれたことの3倍以上にしゃべりまくること  の出来る人。「、、そうすね」は失格。
27)カリスマ=教祖⇒一見すると能力ある風で、他人と違うことをする目立  ちたがりの超変人。
28)コンテンツ=内容物、中味⇒内容のない、中味のないものでもなんとな  く見たくさせる。
29)セレブリテイ=話題の人 、有名人⇒親の莫大な遺産を相続しただけ   で、実力があるとは限らない。
30)モラトリアム=(融資金返済)一時停止⇒単なる一時停止なのに、「も  う取らぬ」と全額返済不要と錯覚させる。

ハングル文字に統一した韓国では、漢字の自分の名前が読めない人が現れたという。中国の物まね商品、商標権侵害を非難したら「日本は漢字を盗んだ」と開き直った。その大事な漢字を略字にしてしまう中国は変な国だ。

片仮名文字はこれからも増え続ける。以上、日本語で”ボヤキ”。(完)


2010年07月23日

◆京都「山科ゆかりの歌人」

           渡邊好造

”百人一首”など古来の和歌には、「山科」が数多く登場する。

”百人一首”は、鎌倉時代の歌人・藤原定家が100首を選んだ歌集のことで、京都小倉山で編纂されたので通称”小倉百人一首”ともいう。主に古今集(平安時代)、新古今集(鎌倉時代)から選んでいる。"小倉"があるなら他にもあるのかとなるが、確かに"源氏""女房""後撰""武家"が頭につく”百人一首”もあるにはある。

その何れもが、制作年や編者が明確でなく、小倉で洩れた歌人を補っただけのものもあり、”百人一首”といえば"小倉"を指すとみてよい。今回の"山科だより"は、この”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」を紹介する。

山科の地名、駅名にも名前が残る有名歌人といえば「小野小町」である。"小野御霊町"にある”随心院(真言宗)”は、小野一族の邸宅跡に正暦2(991)年=平安時代=「僧・仁海」が創建した。「小野小町」は仁寿2(852)年=平安時代=に宮廷を辞した後、40年間当院内の遺跡”小町の井戸”辺りに住んでいたという。

「小野小町」が詠んだ和歌のうち、”百人一首”(原典・古今集=以下同じ)にとりあげられ、とくによく知られているのはこの一首で、境内に歌碑がある。

『花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに』(桜の花の色はスッカリ褪せた。私の美しかった姿も衰えた。むなしく世を過ごし物思いにふけっている間に)。

"北花山河原町"の”元慶寺(天台宗)”は、「僧・遍昭」が貞観11(869)年=平安時代=に創建し、”百人一首”(古今集)に詠まれた彼の和歌の碑がある。

碑には『天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ』(空に吹く風よ、天への雲の通り道をふさいでしまってくれ。美しい舞姫の姿をもうしばらくの間ひきとめておきたいのだ)とある。
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(写真は「僧・遍昭」の歌碑)

"四ノ宮泉水町"に天文19(1556)年=室町時代=に開創された”山科地蔵徳林庵(臨済宗)”には、町名の語源となる「四之宮人康」(さねやす=第54代仁明天皇第4皇子)と、歌人「蝉丸」(せみまる=正式呼称はせみまろ)の2人の供養塔がある。

両人とも平安時代(9世紀)に生きた歌人だが、「蝉丸」は"四ノ宮"から約2キロほど東の滋賀県大津市に入った峠"逢坂の関"に庵を構え、近くには”蝉丸神社”もある。なぜ山科に「蝉丸」の供養塔があるのか、「人康」との関係は、交流は、など明確ではない。その共通点は両人とも琵琶の名手であったことのようである。
 
 ”百人一首”(後撰集)にある「蝉丸」の歌、『これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関』(ここから行く人帰る人、それを見送る人、知合いの人とそうでない人も、ここで出逢いを繰返す。これがこの逢坂の関なのだ)がよく知られている。

 ”百人一首”に登場する地名でもっとも多いのが"逢坂(の関)"("難波"と同数)で、行政エリアは滋賀県大津市だが京都市山科区との境界線上の峠である。

ついでながら、全国46都道府県のうち県庁所在都市がピッタリ接しているのは、この京都府京都市(山科区)と滋賀県大津市の他は、東北の山形県山形市と宮城県仙台市しかない。

「清少納言」(枕草子で知られる平安時代女流作家)は、”百人一首”(後拾遺集)で『夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』(夜の明けないうちに鶏の鳴き真似をして、夜が明けたように見せかけた中国・函国関の故事まがいの騙しの手をつかっても、私とあなたの間にある関所は開けませんよ)と詠んでいる。

「三条右大臣藤原定方」(平安時代公家・歌人)は、”百人一首”(後撰和歌集)で悩ましく、意味深な歌を披露している。

『名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな』(「逢坂山」だから"逢える"、「さ寝」だから"一緒に寝られる(さは接頭語)"、名前通りの「かづら=葛・つるくさ」ならそのツタを手繰り寄せると、人に知られずあなたの家で逢いそして一緒に寝る、そんなことが出来ればいいのに)。

”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」が詠む和歌には、平安・鎌倉貴族のなんとも優雅で、他に心配事はないのかと言いたくなるお気楽な宮廷生活が滲みでている。そんな宮廷生活を歴史書以上に現代に語り継いでいるのが、和歌なのだろう。(完)

2010年07月11日

◆山科だより 「昆虫標本」の余談

渡邊好造

山科だよりの「昆虫標本@〜D」について、読者諸氏から非難と質問を頂戴した。

非難は、『虫嫌いにとってこんな気持ちの悪い記事はない。書き手も採用した編集者も悪い』というのだったが、勿論本誌の編集者にまったく責任はない。

蚊が飛んでいても寒気がする人。蛇は写真を見ただけで気持ちが悪くなる人。反対に蛇が大好きで青大将をポケットにいれて可愛がるくらいなのに、蜘蛛をみると体長5ミリの小さな"イエグモ"でも「わ〜!」と叫び逃げ回る人。石やガラスを擦り合せる音に寒気を覚える人。昆虫標本作成を趣味としながら蝶と蛾の鱗粉(翅の粉)が苦手な人。

”鍋物”の食事は高級料亭は別にして普通の店では絶対に食べない人--高級料亭だと仲居さんが個別に椀によそってくれるからいいが、自分以外の他人の箸が入る鍋、それが気持ち悪いというのである。その同じ人が美人ホステスの侍る高級クラブでは周りの女性とやたらキスをしまくるのだから理解に苦しむ。
 
まさに人それぞれである。昆虫標本シリーズのスタート時に「虫嫌いの人ごめんなさい」と一応断りをいれたものの、日本中に昆虫館があるくらいだから、非難されるとは思いもしなかった。まあこんな趣味もあることを知ってほしかっただけのこと。

さて質問の方だが、高校時代以来の友人からのメールに『"バカの壁"の著書で有名な養老孟司氏は、幼少時に微細に描かれた昆虫の本(ファーブルらしい)を教材にして丁寧に説明してくれた先生がいて、それが解剖学の今の仕事に繋がった、とNHKのテレビ番組でいっておられた。君の場合、昆虫標本作成にのめりこんだキッカケはなんだったのか、、?』とあった。

養老先生も、江戸東京博物館「大昆虫博」の開催(本年6〜9月)に尽力されておられることからみて、大の昆虫贔屓らしい。
 
筆者の場合以下のような経緯があり、その後の仕事にも活きている。

昆虫標本の作成を始めたのは終戦の翌昭和21(1946)年のこと。大阪市東住吉区の小学生だった頃、8歳年長の先輩に見事に整理された数箱の昆虫標本を見せられて以来である。この時、昆虫てこんなに美しいものか、と感動を覚えた。

最初に作った標本は道路に落ちていた「アシナガバチ」で、縫い針を刺して手製の標本箱に入れて眺めていると益々本格的にやってみたいと思い、先輩に教えを請うことにした。

捕虫網は母親にステテコを細工してもらって針金を通し竹の棒にとりつけた。殺虫瓶にナフタリンや樟脳を使うも効き目は遅い。効き目が遅いと採った虫同士の食合いでバラバラになる。現在はベンジンを脱脂綿に染みこませているが、当時はベンジンも高価だったしすぐ蒸発し効率が悪かった。

メッキ工場で使う猛毒薬"青酸カリ"が安価で効果的だとわかり知人から譲りうけた。"青酸カリ"は、発生ガスで虫を殺す。日がたつと殺虫瓶の中でドロドロになるので石灰を混ぜて固める。今思えば乱暴な話だが、素手で触っていても舐めなければいい位に軽く考えていた。

大量に保管していた"青酸カリ"はその後燃やして"塩"に変化させ処分した。

その折、昆虫標本作成にとりつかれたのは筆者の他に1歳下の2人。しかし、昆虫を飯の種にしたのは指導してくれた先輩だけ。大学農学部で樹木の害虫「アメリカシロヒトリ」、稲の害虫「ニカメイチュウ」の研究を続けて農薬会社に入社し、最後は大学農学部教授まで勤められた。

教えられた方、ひとりは大学農学部卒業後キリスト教の牧師、もうひとりは工学部から関西大手電気メーカーの役員。筆者も昆虫は高校でストップ、社会学を専攻し社会調査が本業となった。昆虫転じて社会調査が本業とはなんの脈絡もないようだが、昆虫採集時の統計学が人間行動の統計学に転化したのである。

筆者が最初に勤務した広告代理店調査部で統計数字の読み方、社会調査結果の文章をチェックしてくれたのは2回り年長で新聞記者から転じた上司であった。その時の経験が今日に活きている。

そして、今から10年程前の定年リタイヤ後、山科疎水道をウオーキング中に見かける甲虫類の名前は図鑑なしでも全部覚えていたこともあって、幼少時に取付かれた魅惑にまたもや火がついた次第である。

振り返ってみると、人生とは不思議なものだとつくづく感じる。昆虫標本の作成にのめりこんだがために、物書きを仕事にすることになった。本誌の読者の皆さんとの接触が始まったのはそんなわけである。(完)

2010年06月28日

◆山科だより「"クワガタ虫"、"糞虫"」D

                 渡邊好造
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山科疎水道で採集された昆虫標本については5回目。この稿に対し気持ちが悪いとの悪評もあったが、山科にまだこれだけ自然が残っていることに驚きの声も多かった。

 写真の標本箱左側は"クワガタ虫"。甲虫目クワガタ虫科に属し、日本では約40種。雄の大きな顎が戦国時代の兜についている鍬形に似ていることからこの名前がついた。山科で採れたうち立派な顎をもつのは写真左端上の「ミヤマクワガタ」1頭のみで、顎をもつ雄は2段目の3頭と最下段2頭目のわずか5頭。どういうわけか採れるのは「コクワガタ」(胴長2、5センチ)の雌が大半である。

 "クワガタ虫"は樹の枝にいるのと樹の穴に潜むのとの2種類がいる。枝にいるのは樹を蹴飛ばせばすぐに落下するが、白布などを敷いておかないとどこに落ちたかわからなくなる。穴に潜んでいるのは煙草を水に浸けて作ったニコチン液を注入すると這い出す。写真にあるのは全て疎水道を歩いていたもの。

 写真真ん中は蜻蛉(せいれい)目の"トンボ"で、日本では約200種、かっては都会でも数多くみられた。山科疎水道では最下段の「オニヤンマ」を時折見かけるものの、よく知られた「ギンヤンマ」の姿はない。"トンボ"の採集には捕虫網を必要とするが、写真の標本は蟻に食われる寸前の死んでいたものばかり。

 右下の2頭は、甲虫目コガネ虫科の「カブト虫」の雌(胴長4、5センチ)で、立派な角をもつ雄は未だ採れない。「カブト虫」は、昭和60(1985)年天然記念物・絶滅危惧種に指定された沖縄の「ヤンバルテナガコガネ(山原手長黄金)」(同6センチ)につぎコガネ虫科で日本2番目の大型種である。「カブト虫」は養殖が盛んで雌雄ペアで飼育用に売出され、子供に大人気である。樹液にたかるが、写真の2頭は夜間の街灯に激突し落下していた。
なお、新種「ヤンバルテナガコガネ」の発見が昭和58(1983)年と遅れたのは、生息地の毒蛇ハブの危険と米軍基地周辺の立入禁止のせいだったらしい。

写真右側7段目まではコガネ虫科の3種類の糞虫で、日本には百種類以上いるらしい。上から3段目までが「センチコガネ」、その下3段分は「オオセンチコガネ」、ついでその下は山科周辺固有種の「ミドリセンチコガネ」である。
 この種は糞虫の名前の通り動物の糞(人糞も含む)を食べ、そこに卵を産みつける。さらに糞の下に穴を堀り巣をつくっている。”センチ”の名前は、便所のことを"雪隠(せっちん)"と称したのが訛ったらしい。山科疎水道では糞をひっくり返してまで採集したわけではなく、歩行していたのを拾った。しかし、この種の虫を本格的に採集するには動物の糞を見つけるのが先決で、糞が見つかると30センチ程の長いピンセットで辺りを掘って掴み出す。

 糞虫の採集は、奈良県の若草山の奥「奈良奥山ドライブウエイ」周辺がまさに宝庫で、特に「ルリセンチコガネ」はここでしか見かけなかった。そして"カミキリ虫"、"オサ虫"など数多くの甲虫類も採れた。奈良固有種として昭和7(1932)年天然記念物に指定された小型の蝶「ルーミスシジミ(2、5センチ位)」保護のために常駐監視員が周辺を巡回していて捕虫網の使用は絶対禁止。奈良の「ルーミスシジミ」はその後の薬剤散布で絶滅した。

 筆者が中学生の頃、虫仲間3人で糞虫採集の糞を探す手間を省こうということになり、近所で貰った牛と馬の糞(牛馬を飼っている家がまだあった)を3杯のバケツに詰め込み新聞紙を被せただけで奈良行の近鉄電車に乗った。途中の生駒駅辺りで車掌室に連れていかれ「乗客から臭いという苦情がある。そのバケツの中は、、?」、説明しても理解されない。あげくがすぐに下車しろとのこと。「もう二度としません。今回だけは、、」と謝っているうちになんとか奈良駅に到着し無罪放免。
 その日、一周10キロ位のループ状となった「奈良奥山ドライブウエイ」のここぞと思う所に牛馬糞を設置し、もう1周して再び同じ場所に戻るまでの全行程休憩なしで約6時間の強行軍。糞虫の大収穫はあったがくたびれ果てて二度とやらなかった。(完)

2010年06月18日

◆山科だより「昆虫標本Cーコガネ虫」

               渡邊好造
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私がが約60年前に熱中した昆虫採集対象種は、"カミキリ虫"と"コガネ虫"などの甲虫類だった。

このうち甲虫目コガネ虫科"コガネ虫"は種類も多く、習性が分れば比較的簡単に採集できた。写真の標本箱には山科疎水道で採れた28種類の"コガネ虫"が収められている。いずれも当時ならごく普通種で珍しいものは一つもない。

日本の"コガネ虫"は約4百種位が確認されていて、木や草の葉を齧る「マメコガネ」類、花の蜜を吸う「ハナムグリ」類、樹液を吸う「カナブン」類、糞虫の「センチコガネ」類など多彩である。このうち糞を食べ、そこに卵を産み付ける、通称掃除屋の"糞虫"類が"コガネ虫"の約3分の1を占めてもっとも多い。"糞虫"は”フアーブル昆虫記”に記された糞転がし「スカラベ」が有名である。

今回は、個々の種類については詳述せず、筆者の昆虫採集のスタート場所、大阪市東住吉区の「長居公園(JR阪和線長居駅)」を初め約60年前の関西の昆虫採集のメッカであった所を紹介する。当時の自然一杯の姿を想像してほしい。

1) 「長居公園」⇒この一帯は昆虫が一杯の畑地と雑木林であったが、競馬場、オートレース場が出来て公園としての周辺の整備が始まった。ここで用心しなければならなかったのはあちこちにあった肥溜めと野井戸であった。どちらもウッカリはまるとえらいことになる。肥溜めは農業用に人糞を溜めて発酵させる所、はまるとどうなるか、、、。

2) 野井戸は自然に陥没してできた井戸のことで入口は直径1メートル位、周りに雑草が被さっているからさらにその半分位しか入口が見えない。内部は大きく広がって直径3〜4メートル、深さ3メートルはあり、子供がはまって溺れ死んだこともあったし、競走馬が落ち入口を広げて救い出す作業を約3時間見物したこともある。今なら野井戸を放置した管理責任が追求され大問題になったでだろう。野井戸は危険が一杯であったが、そこに落込んだ昆虫を手網で掬い取る秘密の穴でもあった。
 
2) 「箕面公園(みのうこうえん・大阪府箕面市)」⇒箕面の滝の上辺りから「勝尾寺(真言宗)」までの約3キロ程の雑木林は、"コガネ虫"を中心に甲虫類が数多く採れた。今では車で簡単に行けるが、当時は地道で車どころか人影もほとんど見かけなかった。

3) 「能勢妙見(のせみょうけん・大阪府豊能郡)」⇒能勢電鉄の「一の鳥居駅(兵庫県川西市)」から「妙見口駅」までの農道の雑木林、とくにクヌギの木には「ミヤマクワガタ」(昆虫標本Dで紹介予定)をはじめ甲虫類の宝庫だった。能勢電鉄は高架となり、沿線に住宅が立並び現在の様相はすっかり変っている。

 4) 「高野山(こうやさん・和歌山県伊都郡)」⇒南海電車高野線終着駅「極楽橋駅」からケーブルカー(高野山駅行き)には乗らず、虫目当てにひたすら急な山道を登り「大門」に至る。その途中の山道と寺院の並ぶ標高1千メートルの台地には、平地にはいない"カミキリ虫"、"コガネ虫"の珍しい種類が群がっていた。目当ての花は「シシウド」である。

 高野山では「蓮華浄院(真言宗)」という寺院に宿泊し大量に採れた昆虫を整理していたところを住職に見つかった。”寺で殺生をするとは何事か!”と大音声で一喝があり、お布施を出し正座して"虫供養"のお祈り、、。その後何回かこのお寺にお世話になったが虫供養はこれ1回だけで許された。

 この他、関西では「奈良奥山ドライブウエイ」の周辺も忘れられない。この地は、"糞虫"採集のエピソードを中心に「昆虫標本D」でとりあげる。なお今回の写真の中に1頭の小さな"糞虫"が含まれている。右側3分の1中央の台紙上の「マグソコガネ(体長6ミリ)」で、もし指摘できたら筆者以上の超虫マニアといえる。

 いずれの地区とも宅地化が進み、道路舗装が行届き昆虫の住む環境は失われたが、山科疎水道で採れた昆虫標本をみていると、自然が一杯だった約60年前の各地の情景が浮かんでくる。(完)