石岡 荘十
表題は、昭和45年、70年安保の真っ只中、いいしだあゆみが唄って流行った歌謡曲(なかにし礼作詞、筒美京平作曲)のタイトルだが、その話をしようというわけではない。
内閣改造後はじめての日曜日、テレビはどれも、早朝から新閣僚に加え、政治評論家をスタジオに迎えて、政治談議まっさかりである。評論家にとっては、年に何度もない稼ぎ時だ。
総理をはじめ新閣僚が”適材適所“なのか、やかましい限りだ。しかし、もともと社会部崩れの筆者としては一人ひとりの政治家の識見・政治信条をそれほどよく知っているわけでもないので、新閣僚の顔触れをどうこういう知識も見識もない。
素人が人物判定をするうえで頼りにするのは評論家の発言だが、こんなときにいつも思うのは、表題の唄、「さて評論家殿、あなたならどうする?」である。
いまいる日本人の中で総理にもっともふさわしい人物は誰だとお考えなのか? 民間起用も含めて重要閣僚には誰と誰がもっともふさわしいとお考えになるのだろうということである。総理になったつもりで、閣僚名簿をお示しいただけないだろうかということだ。
現実の問題としてはいろいろあって、そんなことをしても意味がないことくらいは承知しているつもりだが、素人有権者としては、この際、“玄人”ご見識を伺い、早晩やってくる総選挙で何を基準に人選し、投票すべきなのか、手がかりを得たいのである。
そうはいっても、完璧な”適材適所“はありえないから、出来上がった閣僚名簿にケチをつけるくらいなら筆者にも出来そうだ。しかし、つけたケチがどの程度説得力を持つか、持たないか、そこが素人と玄人との分かれ目だと思う。内閣改造は政治評論家殿のウデの見せ所である。
また、やけくそで浴衣姿で打ち水をして、何気ないような素振りだった人を始め、惜しくも入閣を逸した“大物”(複数)の心境を勘案しながら読むと、この歌詞は結構、意味深長だ。
<嫌われてしまったの 愛する人に
捨てられてしまったの 紙クズみたいに
私のどこがいけないの
それともあの人が変わったの
残されてしまったの 雨降る町に
悲しみの眼の中を あの人が逃げる
あなたならどうする あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら
私のどこがいけないの
それとも誰かを愛したの
忘れられてしまったの 愛した人に
何が出来るというの 女がひとりで
あなたならどうする あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら>
70年安保の時代“過激派学生”の間でよく歌われていたもうひとつの流行り歌は、新谷のりこが歌う「フランシーヌの場合」(いまいずみあきら作詞、郷五郎 作曲)である。
<フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい---> 20080803
2008年08月07日
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