2008年10月09日
◆再燃するか「タバコ増税論議」(後編)
眞鍋 峰松(評論家)
無類のタバコ好きの薩摩の伊集院大膳という老武士の話の続きである。
「さよう。厳しい取り締まりでごわすな。しかし、一体、お上はどういうつもりでいなさるでごわすかな。法というものは立てられた以上、必ず行われなければならんものだ。行われん法があると、その法だけでなく、他の法まで軽んずる心を、民に生じさせ、ひいては、お上の権威を軽視する心を生じさせてくる。
それ故に、古来名君といわれる方々は、行われそうもない無理な法は立てられなかったものでごわす。ところが、このタバコ禁止の法は、無理も無理、途方もない無理な法でごわす。わしは、天下の政道をとっていなさる方々の御量見のほどが、てんでわかりませんじゃ」
「ホウ、横目殿でごわすか。これはこれは。こうなる上は、いたし方ごわはん。いい訳はつかまつらん。しかし、武士として、縄目の恥を受けることは出来ん。この場で切腹いたすから、御検視をお願い申す」、と。
この武勲高い老武士の扱いに困ったのは主君の薩摩義弘。 結局、わけの分らない理由で、この事件をもみ消してしまったとのことである。
薩摩・鹿児島といえば今連続テレビドラマ「篤姫」で脚光を浴びているが、今日でも歌にも唄われるほどのタバコの葉の名産地。それがこの話を残しているのは何よりの皮肉。
私がこの話を読んだ時、まず思い出したのはアメリカの禁酒法を巡る混乱。ギャングの横行とその顛末。
周知のようにこの禁酒法、後世から悪法の見本視される結果となっているが、結局、本人の趣味・好みを法により規制することには少なからず無理があったということである。
つまり、敢えて言えば、同じ嗜好に属する物品であっても、麻薬取締りなどのように社会的に認められる合理的な規制理由が必要ということになろう。
一部の狂信的禁煙主義者の主張に振り回されるのはどうかとも思う。徹底した分煙で済むことではなかろうか。
この老武士が指摘している重要な視点に通じるのが、自動車への制限速度の規制。 日本全国の高速道路・主要幹線道路を問わず、あらゆる日本の道路を走る自動車で、果たして制限速度内のみで走行している台数は何割であろうか。
また、違法駐車の問題もしかりである。果たして、これらの交通法規の違反者にどの程度の犯罪意識があり、罪の意識があるのだろうか。怪しいものである。
私も、現下の交通事故発生件数や死傷者等の状況を考えれば、スピード違反・違法駐車取締りの重要性を軽視するものではない。
しかしそれでも、この老武士の「法というものは立てられた以上、必ず行われなければならんものだ。行われん法があると、その法だけでなく、他の法まで軽んずる心を、民に生じさせ、ひいては、お上の権威を軽視する心を生じさせてくる。」という言葉に妙に説得力を感じるのは、私だけであろうか。
やはり、制限速度などは万人が認める程度の危険速度を想定すべきだろうし、駐車違反も場所をもっと限定し、決めた以上は違反者を例外なく検挙するくらいのものでなければならないのだろう。
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