川原俊明(弁護士)
裁判員制度が、今年の5月から施行されるにいたり、すでに裁判員候補者に指名された人たちの反響が様々な形で上がっています。
忙しくて参加できない、あるいは、犯罪者に対する量刑を下す仕事にたえられない、など・・。
これらの意見の存在は、一般の人々と司法(裁判所)との乖離(かいり・かけ離れていること)が改めて鮮明に出て来たことの証明でもあります。
もともと、法律は、常識の集大成であり、社会の掟を明文化したものにすぎないはずです。
ところが、日本では、明治時代から今日まで、国は、法律を一般国民から理解しがたいほどに難しく条文化し、普通の常識だけでは解読しがたいものをつくりあげ、法律学者も、さらに難解な解釈論を組み立ててきました。
それも現実の社会の動向を無視して・・。法律を、国民から遊離させたのは法律家の責任です。
しかしながら、法律は、国民みんなが理解し、みんなの決まりとして存在すべきものです。
法律家は、エリートの錯覚から目を覚まし、一般市民のための法的サービス機関として、法律の理解を補助し、法律の適用を援助するように機能すべきです。
弁護士はもちろん、裁判官、検察官も同様です。一つの文章が、何十行にもわたる判決文などは、悪文の典型でしょう。
一般市民が、このような判決文を一読しても、直ちに理解できるはずがありません。法曹の未来は、一般市民の視線に合致してこそ、存在意義があります。
そのためにも、法曹人の意識改革がなにより必要です。私自身の自戒を込めて・・。
2009年01月03日
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