2009年06月04日
◆風化進む天安門事件
渡部 亮次郎
20年前のきょう6月4日に北京の天安門広場に集まっていた民主化要求
の学生ら群集に、トウ小平の命令一下、人民解放軍が発砲して武力弾圧
した事件である。
私は中国にも共産党にも全く関心がなかったが、いつの間にか「中国の
動向に注目していないと、何時何をされるか分かったものじゃない」と
思い込むようになった。
NHK時代、中国との国交正常化をやった総理大臣田中角栄に同行取材した
だけだったが、、何の巡り会わせか6年後には外務大臣園田直の許で秘書
官として日中平和友好条約の締結交渉に携わったからである。
中でもトウ小平と北京や東京で何度も接し、彼が経済大国日本を目指し
て、共産中国の舵を「改革開放」の大きく切り替える場面に遭遇した事
は、その後の中国を観察する上で大いに参考になった。
トウ小平にとって、訪日に際しての最大のショックは大阪までの新幹線
乗車だった。「乗っていると鞭で首を叩かれているようだった」と語っ
たが、意味は「資本主体制にならないと中国は貧しさから脱却できない
と知った」ことだった。
これが1978年。3度目の「復活」から1年後、既に毛沢東、周恩来亡く、
彼が「最高の指導者」となっていたため、この年の暮には経済の改革開
放路線を共産党の方針に正式決定した。
経済の「開放」とは外国資本の参加を容認することであり、まず翌79年、
日本からのODA(政府開発援助)供与をきっかけとして日本による資本と技
術の供与が開始された。
トウ小平は経済の改革・開放と共に政治改革も打ち出していたが、79年に
は民主運動の弾圧を開始、人民を不思議がらせた。だがフランス留学を経
験しているトウは西側のブルジョア思想を「敵」とみなしており、それ
に乗ずる胡耀邦も趙紫陽も許す事はなかった。
掲げるのは政治が共産主義、経済は資本主義という矛盾した国家運営を
容易にするためには一党独裁による強権で締め付ける以外に方法はない、
これがトウの信念だった。
大衆はトウを誤解した。甘く見た。6月4日に起きた天安門事件である。
学生たちの民主化要求に寛容だった胡耀邦前総書記の急死に対して追悼
の名目で行なうデモは容認されるだろう、と。
確かに趙紫陽総書記は学生たちに理解を示し始めていた。だが「信念」
を一党独裁におくトウは学生たちのデモを「反党、反社会主義の動乱」
と断じ、趙紫陽総書記を解任し人民解放軍に群集への武力弾圧を指示し
た。20年前の6月3日夜から4日未明にかけて展開された「血の弾圧」で
ある。
この時の犠牲者の数は20年間、明らかにされてこなかったが、最近は
「727」人が中国政府の公式数字になったようだ。
銀座の料亭で、出された鮪の刺身に当惑しながらも最後には瞑目しなが
ら1切れだけ飲み込んだ好々爺。息子の断絶した脊髄を日本の医師たちな
ら繋いでくれるかも信じた「人の親」トウ小平。
彼はあくまでも共産革命の「闘士」であり続けた。尤も、遠い将来には
人民から断罪されると恐れて死んだ。だから墓は無い。遺骨は上空から
撒かれた。撒いたのは若き日の胡錦波濤だった。
<いま中国では、トウ小平氏の功罪が論議されている。中国に市場経済
を持ち込み、今日の経済発展の基礎を築いた功績は大きい。国民の大多
数は、その恩恵を受け、マンションやマイカーを持ち、海外旅行を楽し
む人も少なくない。
その半面で、貧富の格差は拡大、官僚の腐敗も深刻化、社会には不公平
感が広がり、治安の悪化、紛争や暴動の頻発を招き、環境破壊も深刻さ
を増す。これはトウ小平氏が目指した社会ではなかった。彼は引退後の
93年、弟のトウ墾氏に対し、格差拡大への強い懸念を表していた。
しかし、その種をまいたのはトウ小平氏自身だった。天安門事件で趙紫
陽氏ら改革派指導者や知識人、学生たちが追求した政治改革と民主化を
つぶし、一党独裁下で資本主義化を図った結果である。
中国ではいま、権貴体制という表現がある。エリート支配層の党官僚と
資本家が手を結び、労働者、農民を搾取して富を得る体制を指す。そこ
に汚職は付き物だが、腐敗は司法やメディアにもおよび、監視システム
は十分に機能していない。
しかし、この20年間の経済・社会の発展は、共産党の支配体制を揺さ
ぶり始めた。携帯電話、パソコンの普及によってネット情報が行き来し、
一党支配を支える情報と宣伝の独占力は著しく低下した。党の宣伝を人
びとは信じなくなった。
昨年12月、知識人たちが政治改革を求めた08憲章は、そうした社会変化
を背景にしていたが、影響は限定されていた。多くの知識人、学生は格
差社会の上級階級に属し、政治改革の必要は認めても、リスクのある行
動には消極的だ。
その一方で、数億人いる労働者、農民ら社会的弱者層による暴動や当局
襲撃事件が急増した。中国当局が警戒するのは、弱者層の不満を組織化
し、人権や民主化の運動と連動する動きという。当局が天安門事件を再
評価する道はなお遠い。>
(産経新聞中国総局長 伊藤正=5月28日付け)(文中敬称略)2009・05・28
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