白井繁夫
木津の東部にある鹿背山(かせやま)は、万葉集にも詠われている山であり、聖武天皇時代の恭仁宮(くにきゅう)跡とは至近距離です。木津川左岸、南面東の泉津(いずみのつ)上の渡から上津道(かみつみち)を利用して大和平城京へ向かう街道の中間地点『馬場南遺跡』(橘諸兄に因む謎の寺『神雄寺:かんのおじ』跡)にも近く、北麓には山城国分尼寺跡もあって、1300年余の歴史の古さを物語る所です。
今回訪ねる『西念寺』(地図Z:4番)は、中世の『山城:やまじろ』としては、山城国で一番と云われている鹿背山城跡(地図Z:5番)の大手道にあります。
地図Z; http://chizuz.com/map/map141418.html
ところで、この寺のルーツは奈良時代に遡ると鹿背山の大池近くの『古寺跡』と云われている所に、僧行基が堂塔を建立した鹿山寺(かせやまでら)で、本尊として薬師如来をお祀りしていました。
<伝説>:『鹿山寺略縁起』(享保五年の版木):三頭の鹿を背負った猟師に出会った行基が彼らに殺生ななりわいをせぬよう諌めたが、逆に僧が食すればこの獲物を与えると回答、行基はその鹿三頭を食した。それから彼らの面前の川で、口をすすぐと、口から出て来た鹿は生き返り、山へ逃げていった。云々と)。
「鹿山寺の起源」―この古寺跡は地誌類の調査から二つの説が考えられる。
�@ 『山城名跡巡行志』(宝暦4年刊):橘清友の加勢山の墓...『続日本後記』より
�A ―1 行基創建説 地誌『雍州府志』真享元年刊
�A −2西念寺所蔵の『鹿山寺(かせやまでら)略縁起』(享保五年:1920年)や宝永2年の本堂棟札、同3年の薬師堂棟札等の資料。
当寺院は元応三(1321)年に兵火で焼亡したため、一旦、城山の峰に移され、天正十七(1589)年現在地に移転しました。
現在の寺院は鹿背山村人の先祖をお祀りする浄土宗の寺として、江戸時代(元禄6年)に『西念寺』と改名し、本尊阿弥陀如来座像をお祀りしています。
◆当寺院の寺宝には �@ 平安時代後期の二躯の仏像として―
・阿弥陀如来座像(像高:56.3cm)平安の都の本流に繋がる
仏師の作と推定される)
・薬師如来座像(像高:50.7cm 行基建立の鹿山寺の本尊か?)
◆江戸時代時代の一躯の仏像としてー(延宝五年:1677年の銘記)
・本尊阿弥陀如来座像(定印 像高89.77cm 台座天板裏面に山城国井手里の安称の寄進)。
以上、併せて三躯の仏像があります。
<参考資料>:木津町史 『本文篇』及び木津町の歴史 『コラム 鹿山寺をたづねて』
当寺院を語るには奈良時代からの興福寺のご祈願所としての関係や大和西大寺との繋がりもと思いますが、その話題は鹿背山城跡の散策の時として、今回はまず万葉歌に出る鹿背山を皆さんに知っていただき、URが現在宅地開発している木津中央区の開発が鹿背山不動のすぐ近くまで押し寄せました。
我々(木津の文化財と緑を守る会)にとっては幸いなことに、大手道にある西念寺、鹿背山城跡など、古代から受け継がれた自然は残りました。
当寺院を秋に訪ねると大変綺麗な紅葉が出迎えてくれ、鹿背山城跡へ散策すると万葉集に登場する木や草花も観察できます。(但し、夏場は蛇などが出るため、お薦めできません。)
上記写真:秋の西念寺は鹿背山城入口(大手道)沿いです。
今回は、古代の鹿背山を詠った万葉歌を思い起こし、万葉の草花も観察できる散策が出来れば幸せと思い下記の歌を転載しました。
◎ 万葉集(1057)
鹿背(かせ)の山 樹立(こだち)を繁み朝去らず 来鳴きとよもす 鶯のこえ
(鹿背山の木立が茂っているので、朝ごとに来ては鳴いて響かせている鶯の声よ、
春の日に三香原(みかのはら)の荒れた宮址を悲しみ傷んで作った歌)
◎ 万葉集(1059)
三香原 久迩(くに)の都は 山高く 川の瀬清み 住み良しと 人は言へども
あり良しと 我は思へど 古り(ふり)にし 里にしあれば 国見れど 人も通はず
里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか 三諸(みもろ)つく
鹿背山のまに 咲く花の 色めずらしく 百鳥(ももとり)の 声なつかしき ありが
欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
(三香原の久邇の都は、山高く川瀬清くて、住みよいと人は言うけれど、ずっといたい
とわたしは思うけれど、古びた里であるので、国を見れば人も行き来せず、里を見ると家も荒れている。ああまったく、このようになるものだったのか。「三諸つく」鹿背山のほとりに、咲く花は色美しいものだし、百鳥の声も心引かれるもの。いつまでもここにいたい、住みよい里が荒れて行くのは惜しいことだ。)
★「三諸つく」:鹿背山の枕詞であり、大和の三輪山(大神神社)と同じ枕詞です。
みもろの(み)は神霊、(もろ)は森.杜の意で神聖な場所を指します。
◎ 古今和歌集(408)
宮こ出(い)でて今日(けふ)みかのはらいづみ河かわかぜさむし衣かせ山
(都を出て今日は三日目、「瓶(みか)の原」にいる。いつ見るかと思ったこの「泉川」
は川風が寒いことだ。衣を貸してくれ、「桛(かせ)」という名の「鹿背山」よ。)
久しぶりに西念寺の近辺を古人の歌の詞を思い出しながら散策しました。万葉の植物としては つばき、もみじ、さくらなどの木々はともかくとして、冬の季節ですが、すみれの緑の葉やまんりょうの赤い実を見つけて今も昔と同じでしょうかとふと思いました。
ここ鹿背山は観光地として整備されていませんので、レストラン、コンビニ、公衆トイレなどがありません。今後この地を散策される場合は、弁当持参のうえ、トイレはJR木津駅(地図Z:1番)、市役所、東部交流会館(地図Z:2番)等公的機関の利用をお願います。
次回はJR木津駅から徒歩30分以内で来られ、古代の自然と歴史が残る鹿背山で、中世の水準では最高の防御設備を備えた山城(やまじろ)に登り、鹿背山城の主郭から木津川と共に歩んだ木津市街を望もうと思っています。(完)