2014年01月23日

◆歴史は繰り返す

真鍋 峰松


年が明けて、はや1ヵ月を過ぎようとしている。 あっという間も無く日が過ぎていく。これは多くの人にとって共通の慨嘆だろう。 

それにしても、現在のこの社会、すべての面で慌ただしい。とりわけ、新聞などの報道を見ていると、政治や経済、日中韓の問題は絶えず渦を巻いている気がしてならない。本来、世の中に驚天動地の事件なんぞ滅多に起こることもない、と思うのだが。 

「今日もまたかくてありけり。 明日もまたかくてありなむ」。これが私の年令相応の心境ということなのだろうか。

それにしても、あの阪神・淡路大震災から、はや19年。一瞬にして6000人を超える死者を数えた都市直下型地震の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。まさに驚天動地の事件であった。改めて、被害に合われた方々のご冥福と残されたご家族皆さんのご奮闘を心からお祈りしたい。
                           
目下、マスコミの焦点となっているのは、東京都知事選挙。特に候補者細川氏“過去の疑惑再燃”問題が浮かび上がってきている。 日々報道される内容以外に詳細を知る術など持たないのが、我われ。

事の真偽のほども全く解らないが、古今東西、政治に金は付き物。政治活動に多額の資金が必要とされるのは自明の理。従って、政治がらみの資産形成も、度を越さない程度なら、よしとするのではないかと思うが、しかし度を越せば、社会問題だ。     

だが、肝心の為政の志だけは失って欲しくないものだ。いつの時代であろうと、政治家の原点になるのではないか。政治家だけではない。各界のリーダーすべてについて、それぞれの志が望まれるのである。そうでないとリーダーとしての説得力が出てこない。      

その折も折、ある書物に書かれていた言葉に共感を覚えた。それは、後漢時代から三国志の時代にかけての人物、荀悦(献帝の侍従兼政治顧問)が政治の根本とその得失を論じた「申鑒(しんかん)」の中の言葉で,
「政を致すの術は、先ず、四患を屏(しりぞ)く」と。              

四患とは、「偽私放奢」のことで、
「偽」とは、二枚舌、公約違反のたぐいである。
「私」とは、私心、あるいは私利私欲を意味している。
「放」とは、放漫、節度のない状態を指している。
「奢」とは、贅沢、ムダ使い、あるいは心の驕りである。           

まさに、現下の情勢にピッタリの言葉ではないか。
(完)
                      <評論家>


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