2007年07月11日
◆巴里だより「ゴッホとゴーギャンのひまわり」
岩本宏紀(在仏)
有名だからいい絵なのだろうが、本音をいうとどこがいいのか分からない、けれどもそれを打明ける勇気もない、そんな経験はありませんか。
ゴッホの“ひまわり”がぼくにとってはそうだった。何回か本物を観たが、風景画に較べて感動がなかった。バブルの時期とは言え、どうして日本の保険会社が、億単位の金額でこの絵を競落としたのか理解できなかった。
アムステルダムのゴッホ美術館でゴッホとゴーギャンの展示会が開かれていた時のことだ。フランス、イギリス、ロシア、日本などの美術館と個人からも貸出してもらい、総数は百を超える。“ひまわり”の絵もゴッホ美術館所蔵のものとあわせて、三枚が並んで展示されると聞いた。もう何年も見ていないのでいい機会と思い、連休を利用してオランダに出かけたのである。
人の波に乗って一時間ほど鑑賞したあと、この三枚に辿り着いた。左がロンドンのナショナルギャラリー、中央が安田火災の東郷青児美術館、右がゴッホ美術館所蔵のものだ。 縦約1メートル、横70センチメートル強。中央の絵が一番大きい。思わずうーんと唸ってしまった。
花びらも茎も動物のように躍動している。すでに花びらが散ったものも半分あるが、絵の具が盛上がり、まるで本物の種のようだ。日本では真夏の太陽の下だと、稲や草の葉がかげろうのようにゆらめき立って見えることがある。植物のオーラとも言うべきそのような波動が、ゴッホには実際に見えていたのではないだろうか。
イヤホーンで解説を聞く。ゴーギャンが自分のアトリエに来てくれることが決まり大喜びのゴッホが、彼の部屋を飾るために描いたものだそうだ。実際ゴーギャンは“これこそ花だ!”と感激したという。
“あなたのために木蓮の花を飾っておきました。あなたが帰るその部屋にやさしいものがあるように”という小椋佳の世界とは正反対の花だ。(布施明が歌った“あなたのために”の歌詞の抜粋)
しかし南フランス、アルルでの二人の生活は長くは続かず、口論の末ゴッホが自分で自分の耳の一部を切り取るという悲惨な結末を迎える。ゴッホはその後巴里の郊外へ移り、まもなくピストル自殺。ゴーギャンはタヒチ島へ渡ってしまう。
彼の死から十年後、フランスが恋しくなったゴーギャンは、ひまわりの種を送ってもらい、自分の家の庭で育てた。
かつてゴッホは、ゴーギャンの座っていた椅子のうえに、愛用の燭台と本をのせて描いたことがある。タヒチのゴーギャンは、決別から12年後、ゴッホの象徴であるひまわりを自分の椅子にのせて描き、二年後に他界する。展覧会最後の展示がその絵だ。
こんな形での仲直りもあるのかと思うと、胸が詰まった。(完)
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