わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6213号
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2022(令和4年)年 7月29日(金)
『憂国の宰相』の遺志を継げ:櫻井よしこ
行き過ぎた福祉は亡国を招く/上:シーチン”修一
朝日新聞の名物企画「朝日川柳」:伊勢雅臣
:宮崎正弘
重 要 情 報
身 辺 雑 記
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頂門の一針(まぐまぐ)
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『憂国の宰相』の遺志を継げ
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櫻井よしこ
「追悼安倍晋三元首相 世界に晒された日本の平和ボケ 改憲に命を懸け
た『憂国の宰相』の遺志を継げ」
本誌連載「日本ルネッサンス」の特別対談で、最も多くご登場いただいた
政治家こそが、安倍元首相その人だった。志をひとつにしながら実は“緊
張関係”にあったという二人。憂国の熱弁を揮った宰相の素顔を、ジャー
ナリスト・櫻井よしこさんの緊急寄稿で振り返る。
安倍晋三元首相が暗殺された。暗殺犯よ、なぜ殺したのだ。現場にいた警
護のプロフェッショナル達よ、なぜ一発目の襲撃で止められなかったの
か。なぜ二発目を許したのか。
なぜだ。なぜだ。テロへの怒りと安倍氏喪失の衝激で胸の奥からマグマが
せり上がってくる。どれほど地団駄を踏んでも取り返しはつかない。
銃撃時の動画を見ると、SPや警察官らが突っ立っている。護衛の訓練を
し、日々、心構えも新たに現場に臨むのであろうが、いざ事に直面する
と、誰ひとり動くべきときに動かなかった。否、動けなかった。
犯人は一発目の襲撃を外した。構え直して2.5秒から3.0秒後に撃った二発
目で、安倍氏はほぼ即死した。全体がはじかれたように動いたのは、安倍
氏が倒れてからだったのが動画から見てとれる。
これが日本か。その姿は日本国憲法前文と9条に重なる。わが国さえ悪事
を働かず、平和を守れば、世界の悪しき国々は日本に手を出さない。日本
さえ軍備を最小限に、力の行使は慎重に、相手国を刺激せずに大人しくし
ていれば、脅威は襲ってこないと信ずるパシフィズム国家だ。
自衛隊を軍隊とせず、警察法の枠内でその持てる力を必要最小限にとどめ
る憲法9条の精神に浸りきったわが国は、ずっと現実から逃げてきた。目
をつぶってしまえば迫り来る脅威は見なくて済む。まやかしの安心だ。何
も準備することなく、存在しない“親切な世界“に身を委ねてきた。わが国
の現実逃避体質の非力さを、安倍元総理暗殺事件が象徴的に炙り出した。
国全体が憲法9条の平和主義の影響下にあるからには、安倍氏暗殺を受け
た政府の反応が呆れ果てるものだったのは当然であろう。
世界戦略を描いて真っ当な国家の在るべき姿を説いてきた安倍氏は、これ
までの日本には見られなかった稀有な政治家である。日本の宝だ。日本だ
けでなく先進7か国首脳会議(G7)で、当時のトランプ米大統領、メル
ケル独首相、マクロン仏大統領やジョンソン英首相らに信頼され、頼られ
る政治家だった。
そんな首相がかつてわが国にいたか。安倍氏が初めてである。それ程大事
な政治家が白昼易々と暗殺された。そのことが抉り出した日本国の脆弱さ
を中国、ロシアをはじめ世界中が目撃した。わが国を窺う勢力が日本与
(くみ)し易しと思っても不思議ではない。
このことの深刻な意味を岸田文雄首相は鋭く感じとって対応しなければな
らない場面だった。たとえば直ちに国家安全保障会議を招集して対策を発
表することだ。日本政府が事の重大性を認識して対応策を打ち出す姿を見
せる、即ちわが国はいかなる事態にも十分な危機感をもって対処できる
と、示すことが大事だ。犯人については厳しく追及する。簡単に単独犯と
決めつけず、背後関係も含めて全てを洗い出す決意を示すことが抑止力に
なる。
だが、岸田政権にはこうした意識が欠けている。それだけではない。日本
国首相として、また安倍氏の当選同期生としてこの暗殺事件をどう受けと
めたか。首相個人と、日本国政府の心の在り様が伝わらない。岸田氏は日
本国の深い怒りと痛恨の思いを明確な形で内外に示すべきだった。
米国政府は7月8日の襲撃当日、ホワイトハウスに半旗を掲げた。バイデン
大統領はさらに指示を出して、8日から10日まで米国中の国旗が半旗に
なった。警察署、郵便局、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、学校
から個人の住宅に至るまで多くの半旗が掲げられたと、SNSで伝えられ
ている。ブリンケン国務長官は直ちに日本を訪れ弔問した。
英国もフランスもインドも安倍氏の不慮の死を悼んだ。インドは米国同
様、3日間半旗を掲げて弔意を表わした。アジアの多くの国々で政府のみ
ならず国民各位が凶弾を憎み安倍氏の死を惜しむ言葉を寄せた。
わが国では、自民党がいち早く永田町の党本部ビルに半旗を掲げた。では
政府はどうしたか。国会議事堂、衆参両院議長公邸においても日曜一杯、
通常どおりに高々と日章旗が掲げられていた。政府が半旗を掲げたのはよ
うやく11日の月曜日になってからだった。何と感覚の鈍いことよ。
安倍氏は首相になるとき、「日本を取り戻す」と叫んだ。取り戻そうとし
たのは日本の価値観だ。歴史を辿れば日本は雄々しさの中にも穏やかな文
化を育んだ立派な国である。幾百世代にもわたって日本列島に住みついた
先人たちは、人間を大事にし、思いやりを基調とする社会を築いた。だか
らこそ、安倍氏は第一次政権でまず、教育基本法の改正に取り組んだ。戦
後の日本を歪めた元凶である現行憲法改正のための国民投票法も制定し
た。日本を守る自衛隊を「庁」に据え置いてはならないとして、防衛庁の
「省」昇格を急いだ。戦後の日本社会を決定づけた現行憲法の改正が自分
の政治使命だと国民に誓った。
頭脳明晰な人
第二次安倍政権では、国の守りを強化する特定秘密保護法や平和安全法制
を次々に制定した。その都度、10ポイント以上も支持率を落としたが、安
倍氏は戦い、全て成立させた。
私が主宰する「言論テレビ」で、安倍氏がどんな思いで日々政治の場にお
いて日本を変えようとしているか、語ったことがある。当日は2015年9月
11日、懸案の平和安全法制の審議は山場を迎えていた。民主党は国会での
議論を拒否して、デモ隊と一緒に安倍首相批判の声を張り上げていた。
デモの中で法政大学の山口二郎教授が、こう演説した。「安倍に言いた
い。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」。またこうツイートした。
「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性で
ある。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対し
なければならない」と。
蓮舫氏も福島瑞穂氏も同法案を「戦争法案」だと論難した。私がこの一連
の批判について問うと、安倍氏はサラリと言った。
「知性対反知性と言われるのなら、『人間じゃない、たたき斬ってやる』
というのは言わない方がいいと思います」「本当にこれが戦争法案なら私
も反対します。アジア諸国も反対するはずです。そうではなくて、ほぼ全
ての国々が賛成しています。戦争法案のはずがありません」
そしてこう続けた。
「自民党は相手(民主党)を攻撃するよりも、平和安全法制案について、
より時間をとって説明したいと思っているんです」
当時の国会での発言録を読めば安倍氏は説明を尽くしている。しかし、野
党の大部分は馬耳東風だった。安倍氏はこうしたことの一切を我慢し、支
持率低下にも耐え、法案を成立させた。いま、わが国の安全保障に欠かせ
ない日米同盟がかつてなく安定しているのは平和安全法制があってこそだ。
「言論テレビ」でも安倍氏の説明は見事だった。平和安全法制の制定に
よってわが国は集団的自衛権の行使が、一部だが可能になる。なぜそうし
なければならないのか。安倍氏の説明は実によく整理されていた。
・集団的自衛権の政府解釈は40年前のもので、当時はわが国よりも外国を
守るためという概念だった。
・外国のためならそれは必要最小限を超えており憲法違反とされた。
・ところがこの40年間に北朝鮮さえ核やミサイルを有し、わが国を狙える
ようになった。
・日本へのミサイル攻撃に備えて警戒に当たっている米国のイージス艦が
攻撃され、それを自衛隊の艦艇が守らなかったら、日米同盟はその瞬間、
大きな危機を迎える。
・米艦船を守ることはわが国の存立と国民を守るために必要で、そのため
の集団的自衛権の行使はまさに必要最小限の中に入る。
・昭和34(1959)年、憲法の番人である最高裁判所は自衛権を国家固有の
機能として当然だと認めた。
・日本国民を守るために必要な自衛のための措置とは何か、政治家が考え
なければならない。
・40年前とは違う状況下で、昨年(2014年)、自衛権、集団的自衛権の解
釈を変えた。それが平和安全法制だ。
一連の説明を安倍氏は一切の資料を見ることなく、言葉が湧いてくるよう
に行った。安倍氏の理解力と説明能力には、官僚や他の政治家を寄せつけ
ないものがある。頭脳明晰な人である。
緊張感があった理由
安倍氏はその後、祖父、岸信介氏についても振り返った。
「祖父が『岸信介回顧録』で1960年の安保改定時のことを書いています。
安保改定で徴兵制に逆戻りするとか、夫が戦場に行くことになるとか、戦
争に巻き込まれるという批判があった、ありもしないことを批判されて残
念だと祖父は書いています。55年経って、いま、全く同じ言論状況ですね」
祖父と孫は日本がまともな国になるように法制度を整え、占領軍の急拵え
の憲法のくびきから日本を解放しようとその一生を捧げた。日本国内では
愚かな左翼勢力が岸氏の功績も安倍氏のそれも認めようとしないが、国際
社会は安倍氏の貢献を高く評価している。安保法制に賛成の意を正式に表
明した国々はアジア諸国を含めて50以上に上る。
さらに、来日したカンボジアのフン・セン首相について安倍氏はこう語った。
「日本にPKO部隊を派遣していただいたお陰で、カンボジアはしっかり
成長できた。いまは自分たちがPKO部隊を送り、スーダンで医療活動を
していると言っていただきました。PKOのときも菅直人氏らは非常に強
く反対しましたね」
安倍氏は存分に自分の想いを語ったが、それでもこの日の「言論テレビ」
に安倍氏は不満だったと思う。私が番組の締めで、安倍氏の課題に憲法改
正があると語ったからだ。
ただでさえ難しい平和安全法制に取り組んでいて、もう1,2週間で法案が
成立しようかという大事なときに、私はそれよりもっとハードルの高い憲
法改正を安倍政権の課題として持ち出した。ひとつひとつ結果を出さなけ
ればならない政治家にとっては私の問題提起は余計なお世話だった。
一方、個々の政策の背景にも言及して問題提起するのは、言論人としての
私の役割でもある。そして私は時に妥協を許さず、問い詰めすぎる嫌いが
ある。安倍氏と私の関係は基本的に友好的であるが、常に一種の緊張感が
あった理由である。
安倍氏と私は確かに同じ方向を向いていた。「日本を取り戻す」と叫んだ
安倍氏の気持ちは深く理解できていると思う。けれど、個々の政策になる
と、微妙な相違も生まれるのだ。対ロシア外交においても、対中外交にお
いても、大きな方向は同じであるのに、眼前の政策については違いがあっ
た。その都度、私は質し、安倍氏は答えた。
2016年12月、首相の地元・山口県長門市と東京で日露首脳会談が行われ
た。結論から言えば平和条約締結にも北方領土の帰属問題にも進展がない
まま経済プロジェクトが先行した。私はこの首脳会談を評価できなかった。
18年9月、ウラジオストクの東方経済フォーラムでプーチン氏がいきなり
無条件で平和条約を締結しようと言い始めた。ロシア側の思惑は二つの条
約を日本に提示することだった。一つ目の条約で平和と友好、協力を定
め、その条約を基礎に、後で国境に関する二つ目の条約を結ぶという戦略だ。
日露交渉の歴史には日ソ共同宣言、東京宣言、クラスノヤルスク合意、川
奈提案、イルクーツク声明など、四島返還要求を貫くための苦労が刻まれ
ている。その歴史を一気に飛び越して、小さな島二つの返還にとどまる日
ソ共同宣言に逆戻りするのかと、私は懸念した。
安倍氏は四島の要求を続ける限り北方領土問題は動かないこと、島民の
方々の高齢化などを語ったうえで、わが国は中露両国を相手にしなければ
ならないとも言った。
中国とロシアが手を結べば、日本にとって最も困難な状況が生まれる。ロ
シアが衰退し中国の力が増強する中で、安倍氏はロシアを中国側に押しや
らない戦略を考えていたのだ。
こうした大戦略の前では、四島か二島かの議論の重要度は相対的に下が
る。地政学的大戦略はロシアのウクライナ侵略戦争で潰えたが、安倍氏は
ユーラシア大陸全体、中露双方を睨み、その大きな枠組みの中に北方領土
問題を置いていた。卓越した戦略だと思う。
「松陰先生に似ている」
地元山口県で長年安倍氏を支えてきた人物に清原生郎氏がいる。安倍氏が
こう教えてくれた。長いつき合いだが一度も頼まれ事を受けた記憶がな
い。ただ、13年12月、(現職総理として)靖国神社に参拝したとき、「総
理、ありがとうございます」と、お礼を言われた。こういう立派な人たち
に支えられている自分は幸せだ、と。
清原氏は吉田松陰の信奉者でもある。氏は「安倍総理は松陰先生と似てい
るところがある」と語る。信念を貫く意志と、抜群の行動力において共通
するというのである。松陰は教育者であり、必ず率先垂範した。
幕末、松陰は急(せ)いていた。早く変わらなければ日本は外国の侵略を受
ける。彼は松下村塾の門下に書き送った。「余りも余りも日本人が臆病に
なり切ったがむごいから、一人なりと死んで見せたら、朋友(ほうゆう)故
旧(こきゅう)(古くからの友人)残ったもの共も、少しは力を致して呉れ
うかと云う迄なり」
松陰は、時代の大変革の中で、なぜ、皆は目醒めないのか、皆を目醒めさ
せるために自分が死んでみせようかと言っているのである。
「同じような烈しさが安倍総理の中にもあるのでしょうか」と清原氏は穏
やかな口調で語る。
松陰は29年の短い人生を駆け抜け処刑された。身分の上下を問わず、来る
者全てを受け入れて、教えた。そして皆に、とりわけ女性や子供、貧しい
人たちに優しかった。松陰の母への手紙は、平易な仮名文字で、優しい言
葉に乗せて母を大切に想う気持ちを綴っている。
「櫻井さん、松陰先生がほのかに心を寄せた女性のことを知っています?」
と、安倍氏が聞いた。
私は『吉田松陰全集』を読みかけているが、そこにはまだ到達していな
い。そう言うと、安倍氏が返した。
「あの女性(ひと)はね、松陰の初恋の人だと思うんだよね」
安倍氏が少年のようにはにかんだ。
今、手元に一葉の写真がある。昨年12月、下関で一緒に撮影したものだ。
総理の表情は優しく、くつろいでいる。こんな優しい表情を見せてくれた
のは初めてだ。安倍氏と私の間にいつもあった小さな緊張感は、少なくと
もここでは消えている。
暗殺される前の安倍氏は、恐らく、これまでの人生で最も充実した段階に
あった。2回の首相体験が安倍氏の自信を盤石のものにしていた。まぶし
い程に輝き、人生の絶頂にあった。
おだやかな表情で横たわる御遺体の傍らで昭恵夫人は「自分が死んだこと
を本人は知らないと思います」と語った。
苦しみもなく逝ったであろうと昭恵夫人は言う。
私は想った。安倍総理の魂はいまも生きている。そう考えて、「日本を取
り戻す!」と叫んだ安倍氏の遺志を継いでいこうと、決意した。
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行き過ぎた福祉は亡国を招く/上
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“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」74/通算506 2022/7/26/火】小生が小5、11歳の
1962年頃、街には少数ながら日々の暮らしに困る貧乏人がいた。いずれも
小生の顔馴染みで、ともに子連れの寡婦だった。敗戦から17年経っていた
が、庶民は概ね戦前のそこそこ安定した暮らしを取り戻したようで、今か
ら思えば随分慎ましいものの穏やかな生活に満足していた。
しかし、川崎駅の広場とか川崎大師(真言宗智山派・金剛山金乗院平間
寺、通称厄除弘法大師、川崎大師)など人が多い所では、白装束の傷痍軍
人(を装う人?)が物乞いをしていたものだ。そういう時代だった。
当時は60年安保騒動で岸総理が辞任、池田総理になって民意を政治から
生活向上=カネ儲けに切り替える「所得倍増」政策を進めていた頃だ。
WIKIによると、
<安保闘争と差し違えで倒れた岸内閣の後継として、池田は1960年7月
19日に内閣総理大臣に就任、第1次池田内閣が発足する。
池田は安保闘争の時の強硬な立場から、安保改定を強引に押し通した岸
政権の亜流になるのではないかと見られていた。しかし、池田は60年安保
を通じて、テレビをはじめとするメディアが大衆の世論形成に影響を与え
ることを肌で実感し、それを逆に利用する戦略をとる。
吉田内閣時代や安保闘争で定着していた自身の反庶民的・高圧的なイ
メージを払拭することに努め、「低姿勢」「寛容と忍耐」の信条をテレビ
を通じて国民に見せ、「庶民派」を演出した。一方、重要政策と見られて
いた安保・外交や憲法などを封印し、数年来自身のブレーンらとともに懐
で温めていた「所得倍増計画」を池田内閣の目玉政策として発表、日本の
社会を「政治の季節」から「経済の時代」へ巧みに転換した。
1960年11月の総選挙では、当初は安保を争点とするつもりであった社会
党など野党もあわてて経済政策を前面に出すなど、選挙戦は自民党のペー
スで進み、結果は戦後最高となる301議席、自民党の圧勝であった。さら
に、社会党は得意としていた「貧困対策」を自民党の「所得倍増計画」で
先取りされ、安保闘争からの党勢拡大の勢いが頭打ちとなり、結局社会党
は自民党を議席数で上回ることが一度もなかった>
当時のわが街のような、田舎の風情を残した小さな街の駅前商店街は、
山田洋次監督の「男はつらいよ」に登場する葛飾柴又商店街(京成線柴又
駅から柴又帝釈天まで続く参道)のミニ版のようなものだったなあと懐か
しく思い出す。
山田監督の最初期の映画には1963年上映の「下町の太陽」があり、倍賞
千恵子、勝呂誉、東野英治郎が演じている。当時、伯父さん(父の兄)が
風呂屋を開業し、脱衣所には映画のポスターがいっぱい掲示されており、
映画館はその謝礼に招待券を提供していたので、小生はその招待券をも
らって「下町の太陽」を見たかもしれない。当時の映画館は3本立てで、
見終わって外へ出たら真っ暗闇で往生した(実際は恐怖を感じた)ことが
あったので、以来、映画、テレビにハマることはなかったが・・・それが
良かったのかどうかは分からない。
仕事で商品発表会用のCF映像を創っていた経験から、「テレビはハード
(機械)、ソフト(映像)をつくって儲けるもので、女子供が楽しむも
の、大の男が見るものじゃない」と確信したが、活字・文字(文書)と
違って努力しないでも脳みそ(感性?)に影響を与える映像の力=影響力
は結構大きいから、これからの言論戦はますます「記事&映像の二刀流」
になるのだろう。それが良いのかどうかはこれまた分からないが、夏彦翁
曰く「一度なったら、ならぬ昔には戻れない」。
アンシアン・レジーム(Ancien régime)とは旧体制、昔の体制の意だ
が、一般的には「君主と特権階級による支配=悪」と定義されている。旧
体制への復帰を「王政復古」などと言い、フランス革命では強く否定され
たが、日本の明治維新は「王政復古の大号令」というアンシアン・レジー
ムへの回帰を錦の御旗にした倒幕(徳川を筆頭とした幕藩体制の排除)と
いう、ずいぶんユニークなものだった。(プーチンはソ連回帰?)
天皇統治は、正確には立憲君主制統治だろう。当時日本で一番影響力を
持っていた外国は世界最強最大の大英帝国だったが、その体制のキモは
「国王は君臨すれど統治せず」、日本はそれを見習ったようだ。実際、日
本駐在の英国外交官アーネスト・サトウは「一外交官の見た明治維新」で
こう書いている。
<1868年元旦(慶応3年12月7日)、私は、京都へ長官(ハリー・パーク
ス第2代駐日英国公使)を連れて行って相抗争する両派(大君=徳川幕府
将軍派 VS 王政復古=薩長など倒幕派)の間を調停させ、日本人同士が共
倒れになるのを防止しようという計画を立てた。そこで、西郷や後藤に
会って必要な手段を講ずるために、長官に先行して伏見行きを申し出たの
だが、京都の情勢が急速に進展したため駄目になってしまった。
1月4日、西宮から帰ってきた遠藤謹助(長州藩、英国留学組)は、「毛
利内匠は長州兵を率いて既に京都にあり、他の一隊は薩摩の部隊と連合し
て伏見(京都、交通の要衝で薩摩藩邸などがある。鳥羽伏見の戦いなどで
知られる)を占拠している」と言った。
薩摩、芸州、土佐の三藩が、会津に代わって皇居(京都御所)の守護に
任じているという事実は重大だった。大君が(京都を離れ)大坂へ下って
来るという噂があり、洋式訓練部隊(伝習兵=西洋式軍隊)を輸送するた
め淀では船の調達が行われているという。
(薩長など)大名側の目的は大君(幕府)と戦うことではなく、大君か
ら特権を剥奪しようとするにあった。まず領地百万石を没収することを提
議した。長州問題はすでに落着し、皇居(京都御所)の守護者は交替した
と、遠藤は言った・・・
6日に石川河内守が来て、その知らせによると、3日に薩摩は大君の廃止
のみならず、天皇と大君との間に立つ関白、伝奏、議奏の三職廃止をも建
議したという。新しい政府は総裁(国務大臣?)、議定(内閣?)、参与
(次官?)から成るものだった。
これは、私たちが将来の行政府の組織として後藤に示唆したものに多少
似ている。我々をして言わしむれば、総裁は内閣総理大臣のような役目を
するものであり、議定は行政各省の大臣に相当するものであった。
この建議に対しては大反対があったが、石川は「これは机上で論議され
得る案ではなく、戦争によって解決されるに違いない」と言った。石川の
見解によれば、大君自身はこの制度に反対しないが、配下の者が主君のた
めを思って反対しているらしく、大君としては平和保持のために進んでい
かなる犠牲にも応ずる覚悟であるように思われるという>(以上)
結局、天皇崇拝著しい徳川慶喜が自ら政権を放棄、蟄居してしまったの
で、薩長土肥など討幕派は「革命戦争で血を流し新政権を樹立する」とい
う、誰もが納得する大義を得なければ新しい御代でリーダーシップを独占
できないことになる。
だから戦争を求め、手当たり次第に喧嘩を売り、血を流し、すでに恭順
の意を示していた会津藩も叩いたのだろう。結局、明治政府を率いた大久
保利通は竹馬の友でもある西郷まで屠り、権力を固めた。大久保はかなり
の冷血漢のようで「情」を好む日本人には頼朝、家康同様、人気がなかっ
たのは、強引過ぎたのだろう。
ま、勝てば官軍とは言え、悪手を使うと遅かれ早かれ非難される。その
点、英国の外交は表向きは薩長、徳川幕府のどちらにも付かず離れずで、
実に狡知に長けていた。フランスは幕府ベッタリで、結局、日本では存在
感を失ったようだ。
駐日英国公使初代のラザフォード・オールコックは長州藩との「四国艦
隊下関砲撃事件」で主導的役割を果たすが、中立を破ったと本国では非難
されたようで、帰国が命じられたという。後任のハリー・パークスは彼の
部下だったが、サトウは上記の「一外交官の見た明治維新」の中で上司の
パークスについて「あの人、何やってんだか」といった扱いだった。
できないのならそれなりに「報連相(報告・連絡・相談)はしろ、俺が
責任を取るから好きなようにやれ、骨は俺が拾う」と部下を鼓舞すれば良
いボスになるのだが、○○につける薬なしか・・・小生は良いボス、上司、
先輩に恵まれたなあ、感謝しています。WIKIから。
<ハリー・パークスは外交官としては有能であったが、癇癪持ちで交渉
相手からは必ずしも好まれていなかった。また部下であったサトウやミッ
トフォードも、パークスは性格には問題があったとしている。
「私とサー・ハリーとの関係は、たしかに楽しいものではありませんで
した。アダムスもミットフォードも彼を良く思ってはいませんでした。こ
れは主に社会階層の違いからくるものです。私もそのとおりだと思ってい
た日本人の請願に対して、彼の荒々しい言葉を通訳しなければならなかっ
たのは、ほんとうに辛いことでした。しかし、彼は偉大な公僕であった」
(サトウによる1921年9月25日付けのバジル・ホール・チェンバレン/日本
研究家への手紙)>
さてさて、歴史から現代の話に移ろう。多くの自由民主国の政権は、選
挙戦での目先の勝利を得るために国民に「福祉アメ」をばら撒く傾向があ
るが、数か月前から小生は「行き過ぎた福祉は亡国を招く 国民の活力を
減退させる手厚い福祉政策」という視点で書きたいと思っていた。
夫が死んだりして生活が苦しい人や障碍のある人は生活保護(生保、
1950年成立)の対象になっているが、1970年あたりまで受給者は遠慮勝ち
で、ひっそりと暮らしていた印象がある。周囲は「気の毒に・・・」と同
情したり、本人も「おかげさまで・・・」という気持ちがあったのではな
いか。厚労省のサイトによると、
<【制度の趣旨】生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮
の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障
するとともに、自立を助長することを目的としています。
【保護の要件等:生活保護は世帯単位で行い、世帯員全員が、その利用
し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のた
めに活用することが前提でありまた、扶養義務者の扶養は、生活保護法に
よる保護に優先します。
【資産の活用とは】預貯金、生活に利用されていない土地・家屋等があ
れば売却等し生活費に充ててください。
【能力の活用とは】働くことが可能な方は、その能力に応じて働いてく
ださい。
【あらゆるものの活用とは】年金や手当など他の制度で給付を受けるこ
とができる場合は、まずそれらを活用してください。
【扶養義務者の扶養とは】親族等から援助を受けることができる場合
は、援助を受けてください。
そのうえで、世帯の収入と厚生労働大臣の定める基準で計算される最低
生活費を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、保護が適用され
ます。
【支給される保護費】厚生労働大臣が定める基準で計算される最低生活
費と収入を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、最低生活費か
ら収入を差し引いた差額が保護費として支給されます>
現在の生活保護法の原点は敗戦後に占領軍GHQが創った。当然、狙いは
「二度と戦争できない国にする日本弱体化」である。1946年10月1日より
施行されたGHQ製「旧・生活保護法」を改めたのが1950年5月、現在の「改
正生活保護法」は2014年7月より施行された。百科事典マイペディアから。
<2013年12月、1950年以来の全面見直しとなる生活保護法改正が国会で
成立。生活保護の引締策と生活困窮者への支援策をセットにした改正生活
保護法と生活困窮者自立支援法の同時成立である(自公賛成、民主欠席)。
改正生活保護法では、増え続ける受給者の引締策として、不正受給の罰
金をそれまでの〈30万円以下〉から〈100万円以下〉に引き上げる。受給
手続きも見直され、申請者に扶養義務のある家族がいて扶養可能とみられ
るのに応じない場合、自治体が家族に説明を求めることができる。
一方受給者への自立支援策として〈就労自立給付金〉を創設。これまで
は働いて収入を得ると、その分の保護費が減額されるが、新制度では収入
の一部を積み立てたとみなし将来保護から抜けた時に現金で渡す。改正生
活保護法は2014年7月より施行。
あわせて成立した生活困窮者自立支援法は生活保護に至る手前の支援に
重点を置く。自治体に対し、生活に困る人から幅広く相談を受ける窓口を
設置し本人と話し合って自立に向けた計画を作る、といった取り組みを義
務づける。離職して住まいを失った人への家賃補助も制度化する。施行は
2015年4月。
しかし改正生活保護法については批判も多く、扶養義務の照会強化など
について日本弁護士連合会は〈保護申請を萎縮させる効果を及ぼし重大な
問題がある。成立は遺憾〉と批判する会長声明を出している>
アカに牛耳られた日弁連が嫌うのだから改正生活保護法は善政に違いない。
ブリタニカ国際大百科事典では、改正生活保護法で「保護費用の負担率
は、国が保護費と保護施設事務費および委託事務費については4分の3、保
護施設の設備費については2分の1を負担し、残りは都道府県および市町村
により一定比率で支弁する」とある。
支弁する=金銭を負担する、ということだろう。小生の記憶では改正生
活保護法以前は、市町村で市長などが選挙戦を有利にするために、地元負
担がない「生活保護/生保」のバラマキ福祉をしていたようだ。腹が痛ま
ないから市町村では生活に困った相談者に積極的に生保を勧めていたらし
い。生保=票だ。まるで「無差別大量生保じゅうたんバラマキ」作戦、こ
れでは国家財政がもつわけない。
「福祉国家」は耳に聞こえは良いが、亡国を招きかねないクスリ≒リス
クになりやすく、そうなる前に制度の見直し、出直しが必要ではないか。
次号でも考えたい。
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朝日新聞の名物企画「朝日川柳」
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伊勢雅臣
朝日が安倍元首相の死を冷やかす川柳で大炎上。「疑惑あった人が国葬そ
んな国」
朝日新聞の名物企画「朝日川柳」で、安倍氏の死を冷やかしたともとれる
川柳が立て続けに掲載され、炎上している
物議を醸したのは、16日付の朝日新聞に掲載された「朝日川柳」だ。
「疑惑あった人が国葬そんな国」「利用され迷惑してる『民主主義』」
「死してなお税金使う野辺送り」「忖度はどこまで続く あの世まで」
「国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか」「動機聞きゃテロじゃ
無かったらしいです」「ああ怖いこうして歴史は作られる」と、選出され
た7作品すべてが安倍氏関連だったのだ。
前日の15日付でも、安倍氏に関するものが7作品中4作品あった。
「銃声で浮かぶ蜜月政と宗」「銃弾が全て闇へと葬るか」「去る人の濁り
は言わず口閉ざす」「これでまたヤジの警備も強化され」と旧統一教会と
の関連や警察の警備を風刺する内容だった。
川柳は一般から募集し、両日とも選者名は「西木空人」。これは天声人
語などを執筆していた元朝日論説委員で、コラムニストの栗田亘氏だ。
ネット上では「川柳にかこつけて安倍氏を冒とくしている」「人の生死
をもてあそぶ川柳など悪趣味」「朝日は赤報隊に襲撃され、亡くなった記
者が揶揄されたらどう思うのか?」などと朝日への批判が殺到した。
「表現の自由が守られる我が国では、こんな安倍元総理の暗殺をあざ笑う
かのような言論でさえ許されている」と三谷英弘衆院議員をはじめとした
自民党の議員が相次いで異を唱え、日本維新の会の音喜多駿政調会長もブ
ログで「いかなる表現や言論にも自由はあるものの、個人サイトではな
く、伝統ある全国紙が掲載する川柳がこれなのかと…」と絶句した。
ネット上では「#朝日新聞を廃刊に」「#表現の自由」がツイッター
で、トレンド入り。朝日のスポンサーへの不買運動を求める声も出るなど
大きな怒りを買い、この3連休は大炎上となった。
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重 要 情 報
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◎今週一寸気になった話題:前田正晶
サル痘:
WHOが取り上げて警告を発していたので、マスコミは熱心に連日のように
報道していたが、昨日だったかに都内居住者の30歳台でヨーロッパから帰
国された方が発症されたというので、俄然我が国においても感染が始まる
かと、彼らがこれまでにも増して騒ぎ始めた。その発症された方の性別も
国籍も公表されていない意味は不明だが、要警戒だそうだ。
どれほど危険な感染症なのかについて、政府か厚生労働省から公式な見
解が発表されていない気がする。マスコミ報道というか、彼らが所謂専門
家の意見として伝えていたことから解ったことは「COVIDほどの感染力は
無く、発熱やテレビの画面にあったような発疹等の症状は出るが、重症化
はしても死者はアフリカ以外では未だ出ていない。天然痘用のワクチンに
は効果がある」辺りだった。
何れにせよ、その発症者には帰国後に濃厚接触者がおられるのだろうか
ら、感染を予防しようとするのだったら、もう少し具体的な警戒警報が出
された方が良いように思えてならない。だが、現実にはBA.5株による感染
が急激に増加しており、保健所はまたまた手一杯の状況だろうし、発熱外
来ではとても予約が取れる状況にはないそうだから、サル痘にまで対応し
切れていないのかも知れない。面倒な事態になってきた物だと、少し怖れ
ている。
また英語の話題かと言われそうだが「サル痘」の原語は何だろうかと調
べてみた。その前に天然痘が“smallpox”というのだから“monkeypox”では
ないかと考えていた。結果はそれが正解だった。だが、何故「猿痘」とし
ては宜しくないのだろうか。
女性が選んだNO.1回転寿司:
「魚べい」という回転寿司店のチラシにはそう銘打ってあった。その店舗
が何時の間にか新大久保駅前のビルの3階に出ていたのを偶然に発見し
て、去る19日に試しに行ってみた。そして、昨日も雨中を顧みずに緊急の
買い物に家内と出た際に、本降りの雨を避けようとアホなカタカナ語に言
う「リピーター」になってみた。
新しい店舗なので内装は綺麗だし、少しだけいる「スタッフ」も丁寧で好
感が持てる。だが、食べながらよく考えると、この店は実質的には「回転
しない回転寿司」なのだった。即ち、既存の大手である「スシロー」や
「くら寿司」と同じであり、我々がタッチパネルで席を選びタブレットで
発注する形式なのだが、ここではレール場には何も回転しておらず、注文
した寿司だけが音声による案内と共に送られてくるのだった。これでは
「機械的なお好み」寿司店ではないかと思った。
殆どの寿司が税込み120円であるのは宜しいかと思う。だが、PCを触っ
たこともなく、今でも二つ折りの旧式の携帯電話しか持ち合わせがない家
内などは、何時の日か単独でこのような携帯のチェーン店での食事が出来
なくなるようになってしまうかも知れない。
安倍元総理以来総理大臣が「給料を上げなさい」と懸命に笛を吹かれて
も経営者たちは一向に踊らないし、プーチンさんの暴挙のためもあって物
皆上がり、何かと理屈を付けて年金を減らされる現在であれば、初期投資
はかかっても、この回転しない回転寿司のような営業形態に持っていかな
いと、お客様就中高齢者を惹き付けられない時代になってしまったようだ
と思いつつ、経済的な昼食を楽しんでいた。
マイナビオールスターの野球:
大量の感染者(=出場辞退者)を出してしまったNPBの野球がどうなるの
かとの興味で見ていた。確かに「エッ、そんな選手がオールスターに出て
くるのか」と感じた者が(例えば清宮が最後の選ばれし者だったように)
現れたが、試合の内容は以前のように「投手と打者たちが予め示し合わせ
て直球だけしか投げない」であるとか「体の良い遊びで休んでいる状態」
のようなことではなく、真剣に野球をやっていたと見ていた。それが証拠
に3日前に公式戦で投げた投手が出ていた。
マスコミ報道では「佐々木朗希と村上宗隆の対決が楽しみ」などと煽っ
ていたが、佐々木はずっとベンチで談笑していたかと思えば、三塁のコー
チボックスに立っていたりしたのでは、「今日は投げません」と言ってい
たのと同じだった。看板に偽りありに近いのではないか。
結果的にはパシフィックリーグのサヨナラ勝ちになったのだが、私の閃
きでは「あの9回裏でサヨナラ勝ちになるのだが、打順が島内から清宮と
なるので何かが起きるかも知れない。まさか清宮がホームランを打って決
まるとはなるまい」と来ていた。セントラルの投手は森下で2回目になっ
ていたが、球速は150km台だったので、「まさか、清宮が」と見ていた。
だが、2〜3回首を振った後で投げた154kmの真っ直ぐを一振りしたら、
左中間のスタンドまで届いてしまった。選ばれていたのも不思議だった
し、打ったのも「まさか」と思わせられた。勝負というものは解らないの
だと思った。
◎サッカーJリーグ選抜ティームが東アジアE-1選手権で韓国代表を抑えて
優勝した:前田正晶
久しぶりに殆ど何も批判めいたことは言わないで済む、我が国の代表が
韓国代表を圧倒して勝つところを見た。気分爽快だった。兎に角、森保監
督率いる我が国の代表のサッカーには魅力を感じていなかったので、登場
した選手たちの顔も名前も知らないという、申し訳ないような状態で「何
としても勝ってくれ」と期待して観戦していた。
何が何でも良かったことは、彼らJリーグ選抜、じゃなかった日本代表
が積極的に果敢に攻め続けた試合振りだった。サッカーはこう来なくちゃ
いけないのだ。私が忌み嫌う横と後ろへのパス交換も少なかった。そうだ
からこそ、途中でアナウンサーが「ボールの支配率では韓国の方が高い」
と指摘していたのだった。解説の岡田武史氏かアナウンサーだったかが
「ここでアピールして、W杯の代表に選ばれたいのだ」と指摘されたが、
もし選ばれたら、このような積極性を発揮して欲しいものだ。
彼らの中からは豪快な決定力を見せる者こそ出てこなかったが、キチン
とした組み立てで流れの中から綺麗に2点を取って見せてくれたのも嬉し
かった。特に後半の1点目となった藤田がトーキックでふわりと上げたパ
スを、相馬が果敢に飛び込んでヘディングで合わせたのは見事だった。3
点目に、右側から攻め込んでペナルティーエリアに深く入ってからゴール
前に低いセンターリングを蹴り込み、左側から上がってきた者がピッタリ
合わせた辺りは美しくさえあった。
我が方の当たり方もまたかなり強くなっていて、何度も何度も韓国選手
に勝っていた。これは私として特筆大書したいことで、これまでには我が
国の選手たちは時には感情的だと思わせられる韓国選手たちの乱暴な当た
りに負けていたのだった。だが、昨夜は話が違っていて「当たって勝つ」
のは我が方だったのだ。しかし、一度だけイエローカードになってしまっ
たこともあったが、これも積極性の表現だと見ているので批判するには当
たらないと思う。
一方の韓国代表は「これがあの韓国のサッカーか?」と思わせられたほ
ど、組織力も精神力も無く、徒に技巧を駆使してパス回しをして見せただ
けだったのは意外だった。岡田氏がGKの谷を褒めた見事なセービングが一
度あっただけで、我が方のデイフェンスは殆ど韓国に「形」を作らせてい
なかったのも良かった。彼らは敗色濃厚となってから、彼らの特技である
反則に取られる汚い当たり方をし始めたが、「時既に遅し」だった。
「滅多にないことで褒めてばかりいるではないか」と言われるかも知れ
ない。だが、私だって貶すばかりが能じゃないので、何時でも良いところ
は解っているのだ。だが、解説者は身内の問題点は指摘しにくいだろうと
解っているので、敢えて辛口にしているのだ。その気になって見ていれ
ば、本稿のような書き方になるのだ。それに、韓国代表を圧倒して勝った
ことを「気分良し」としているのは、私だけではないと思うのだ。
◎米国は9条を遣って日本の行動の自由を奪った。然しその罰が当り今や米
国の行動の自由が奪はれてゐる。
テーマ:ブログ 北村維康
日本の政治は建前上は三権分立によってゐる。然し、立法、行政、司法
と分立すれば、国家の方向は定まらない。天皇陛下も、遠慮されて、鶴の
一声をお出しにならない。では、こんな日本に誰がした?言ふまでもな
く、米国がしたのである。今やその米国自体が弱体化し、その分、チャイ
ナやロシアが勝手なことをやってゐる。おまけに、安倍元総理まで、暗殺
された。しかし、ここはひとつ、ピンチがチャンスだ。乾坤一擲、憲法を
作り変へよう。それも、日本弱体化憲法に書いてある、「国会議員の三分
の2の発議により、国民投票の過半数による」なんてことは、この憲法を
絶対に変へさせないとの米国の深謀遠慮だから、そんなものを馬鹿正直に
守る必要はない。何が一番重要なのか。拉致被害者を取り返すことであ
る。防衛省が、厚さ8センチの書類を作ってみても内容は空疎だ。そもそ
も、そんなことは内閣法制局がやればいいだけの話である。再び言ふ。何
が一番大事なのか。拉致被害者を取り返すことである。三権分立ではな
い。立法独立で突き進め。そして、数百名にも上る拉致被害者を取り返せ。↓
役人が国会議員に法律を作るなと命じようとした話(R3.12.14) - Bing
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2022年07月29日
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